2008年12月14日

堰代町(せきしろちょう)

昭和36年頃の堰代町の家並みである。(写真クリックで拡大)
堰代町は小さな町で山車(だし)は持っていなかったが、この日はちょうど成田町の山車が通過するところを、覚法寺の塀によじ登って撮影した。
左から2軒目と3軒目の間が、「高崎神社」の入り口になる。その角を右へ曲がると嘉多町(かたまち)、真っ直ぐ行けば四ツ屋町だ。

堰代町は、昔、用水を管理する役人の「方屋敷」と「城組屋敷」があったのでその名がついたという。(田島武夫著「高崎の町名由来」より)
写真をよーく見ると分かるのだが、道路に対して斜めに家が建てられていて、ちょうど鋸の刃のようにギザギザになっている。
郷土史家の土屋喜英氏の著書「続・高崎漫歩」によると、「中山道から高崎城を攻めるには、この高崎神社前の道か湯屋横丁を通るしかなく、この道を大勢の人数で一度に通過することができないように考えられていた」のだそうだ。
子どもの頃、この家並みのギザギザのところに兵が隠れるようになっているのだと聞いたことがある。本当か、嘘かは分からない。
ただ、この道はやたらと細い路地のある、妙に折れ曲がった道であったことは記憶している。

写真右の側溝にはいつも水が流れていた。
タニシやカワニナ、どじょう、ヒル、ヤゴなどが生息する、生物多様性に富んだドブ川だった。
このドブ川の少し上流に、鰻(うなぎ)屋さんがあった。
鰻の他にも鯉や金魚、泥鰌(どじょう)を店の生け簀(いけす)で飼っていたが、たまーに脱走する魚がいて、子どもにとってはそれが楽しみで、よくドブの中を漁ったりしていた。

その場所が、今はこんな風景になっている。
同じ場所にずっと残っているのは、高崎神社角の「友松綿店」だ。
車がすれ違うのもやっとだった道路は、片側2車線の広い道路になった。
昔、道の真ん中でベーゴマやメンコをして遊んでいたなんて、とても信じられないだろう。

いつの間にか、昭和も遠くなってしまった。



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Posted by 迷道院高崎 at 16:37
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