2017年01月15日

史跡看板散歩-27 御伝馬事件供養碑

「延養寺」境内にある、もう一つの史跡看板、「御伝馬事件供養碑」です。




看板には、「経緯が碑に刻まれています。」とありますが、漢文で書かれていてちょっと腰が引けます。
ま、でも、文字を追えば、その言わんとすることは何となく分かるのですが。


御伝馬事件140年を記念して平成十四年(2002)に造られた石玉垣には、現代文で刻まれているのですが、これがまた文字が見にくい。


過去記事「駅から遠足 観音山(2)」にも「御伝馬事件」の顛末が書かれていますので、そちらをお読み頂きたいと思います。

ところで、過去記事にも出てきて、看板にも書いてある「連雀町関根氏」とは、講金世話役・関根作右衛門のことで、この人は「高崎五万石騒動」で農民四千人余りが高崎城へ訴願に押し出した時にも、農民に同情して先頭に立って炊出しの世話をしたという立派な人物です。

そのくだりは、細野格城氏著「高崎五万石騒動」(現代語訳:佐藤行男氏)に、こう書かれています。
この時連雀町の関根作右衛門氏は大いに百姓側に同情を表され、百姓に昼食を出してやろうと同役の御用達講金世話役達へ早速参会したいと通知しました。
この通知に接したところの人々はすぐ関根方へ駆けつけ炊きだしの用意をして振る舞うということを決めました。
また同町の青果屋の小板橋彦次郎氏他一軒より幾樽となくたくさんの漬け物が贈られたり、通町のこんにゃく屋ではおでんを何千串となく差し出されたり、その他白湯、茶などを用意して接待した家は数限りなくありました。
何れも皆百姓に同情の気持を表し、親切にいろいろな便宜を与えてくれたので、一般の百姓たちの喜びはまた格別で、初め大総代の注意に三、四日分の弁当を携帯するようとのことでありました。このように歓待を受けようとは思いもよらず、意外の厚情に涙を流す者も随分見受けられました位でございます。」

今は横浜銀行になっていますが、ここに関根家の大きな屋敷があったそうです。


もう一人の「寄合町中島氏」とは、絹問屋を営む中島伊平です。


中島家の屋敷も煉瓦蔵造りの立派な建物で、明治二十六年(1893)の「近衛師団小機動演習天覧行幸」の際には行在所として、明治三十五年(1902)の「皇太子殿下東北地方行啓」では御旅館として用いられましたが、今は跡形もありません。


両家の跡地に、史跡看板を建てられないものでしょうか。


【御伝馬事件の史跡看板】


【関根作右衛門邸跡】


【中島伊平邸跡】






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この記事へのコメント
明治の貴重な遺産及び伝統は、後世に残す必要が有ると思いますが、
現在のお役所はその貴重な価値と一度失われた貴重な無形、有形の遺産を次世代に伝える意義を
理解していない事に、憤りを隠せないのは、私だけでしょうか?
隣県の長野、栃木、茨城では、
観光遺産と文化遺産として、有効に活用していますので?
Posted by wasada49  at 2017年01月15日 20:40
>wasada49さん

その土地が持つ歴史が大いにその土地を潤すことは、どの観光地へ行っても感ずることですね。

その価値に気づかないのか、そういう物があることを知らないのか、はたまた活用法が分からないのか、いずれにしても勿体ないことだと思います。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2017年01月16日 07:36
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