高崎の横丁シリーズ、今日は
「古着横町(ふるぎよこちょう)」である。
田町の「ひつじや」さんの角から、中紺屋町(なかこんやまち)を通って、中央銀座通りに抜ける道を、そう呼んでいたらしい。
今は、「古着」との関係を連想させるものは、まるでない。
根岸省三氏編集の「中山道高崎宿史」では、江戸時代の「図談抄」から、「古着横町」の様子をこう紹介している。
「川の外にむしろをしき古き帯、なへはめる衣等を商ふ、
市日に群集し極めて盛なり(中略)
古物は価安し、去ればよろしき人の足を止め買はんやは、
買ふもの、失ひし人共に又わびしき人なれば、
かかる市の賑はしきとぞ、
世に貧しき人の絶へざるしるしなれ」
古文なので、正確には分からないが、
市の立つ日に、むしろを敷いて古い帯やヨレヨレの着物を売る貧しい人が、沢山集まってきた横町らしい。
売る方も買う方も「わびしき人」で、世の中に貧しい人が絶えることはないという証拠だと言っている。
この横町に、ちょっと趣のある家が残っているのを発見した。
「日本舞踊稽古所」と書かれた板看板が、時代を感じさせる。
「稽古」という言葉の響きが、またいい。
おそらく、かつては柳川町の芸妓さんがたくさん、踊りの稽古に通ったのであろう。
今はどんな方が稽古に来るのか、会ってみたい気がする。
その真向かいには、「石井呉服店」さんが、これまた粋な店を構えている。
その左隣は、「割烹バー Sin」さん。
店の前に、酒瓶がズラーっと並んで、飲んべぇのおいでを待っていた。
それはそうと、昔の子供は大概、膝や肘につぎ当てをした服を着ていたものだ。
兄のお下がりや、よその家の子の回しだから、生地もヨレヨレで、丈の短いつんつるてんの、それこそ「古着」を着ていた。
そこへもってきて、垂らした青っ洟を袖で拭うものだから、袖口はテカテカに光ってた。
世の中が豊かになって、つぎ当てのある服を着てる子なんぞ見なくなったなぁ。
と思っていたら、若者たちが破れた「古着」みたいなジーンズを、つぎ当てもせずに平気で履いて歩いてる。
分からんもんだなぁ・・・。
「古着横町(ふるぎよこちょう)」である。
田町の「ひつじや」さんの角から、中紺屋町(なかこんやまち)を通って、中央銀座通りに抜ける道を、そう呼んでいたらしい。
今は、「古着」との関係を連想させるものは、まるでない。
根岸省三氏編集の「中山道高崎宿史」では、江戸時代の「図談抄」から、「古着横町」の様子をこう紹介している。
「川の外にむしろをしき古き帯、なへはめる衣等を商ふ、
市日に群集し極めて盛なり(中略)
古物は価安し、去ればよろしき人の足を止め買はんやは、
買ふもの、失ひし人共に又わびしき人なれば、
かかる市の賑はしきとぞ、
世に貧しき人の絶へざるしるしなれ」
古文なので、正確には分からないが、
市の立つ日に、むしろを敷いて古い帯やヨレヨレの着物を売る貧しい人が、沢山集まってきた横町らしい。
売る方も買う方も「わびしき人」で、世の中に貧しい人が絶えることはないという証拠だと言っている。
この横町に、ちょっと趣のある家が残っているのを発見した。
「日本舞踊稽古所」と書かれた板看板が、時代を感じさせる。
「稽古」という言葉の響きが、またいい。
おそらく、かつては柳川町の芸妓さんがたくさん、踊りの稽古に通ったのであろう。
今はどんな方が稽古に来るのか、会ってみたい気がする。
その真向かいには、「石井呉服店」さんが、これまた粋な店を構えている。
その左隣は、「割烹バー Sin」さん。
店の前に、酒瓶がズラーっと並んで、飲んべぇのおいでを待っていた。
それはそうと、昔の子供は大概、膝や肘につぎ当てをした服を着ていたものだ。
兄のお下がりや、よその家の子の回しだから、生地もヨレヨレで、丈の短いつんつるてんの、それこそ「古着」を着ていた。
そこへもってきて、垂らした青っ洟を袖で拭うものだから、袖口はテカテカに光ってた。
世の中が豊かになって、つぎ当てのある服を着てる子なんぞ見なくなったなぁ。
と思っていたら、若者たちが破れた「古着」みたいなジーンズを、つぎ当てもせずに平気で履いて歩いてる。
分からんもんだなぁ・・・。
【古着横町】