2009年09月04日

消えた霊泉

消えた霊泉矢島町にある神社を訪ねたのですが、何となく不気味な感じのするところでした。

消えた霊泉



拝殿の階段に、こんながポツンと置かれていました。→
何なんでしょう?

消えた霊泉←拝殿の右には、お札の納め所なのでしょうが、中に何体もの人形が置かれていました。

私には、何やら人形が苦悶している姿に見えて仕方がありませんでした。

消えた霊泉


そのまた右には、赤い屋根のお宮らしき中に、何も刻まれていない自然石が二つ、置かれています。→

これは、何を意味するのでしょうか。

消えた霊泉
←境内には、何やら、アマゾンのジャングルにでも生えていそうな木です。

幹には、不気味なコブが沢山ついていて、病に冒されてでもいるかのようです。
置かれている、ペール缶や輪切りにした木は何なのでしょう。
恐る恐る近づいてみると、どうやら養蜂のためのものらしいということが分かりました。

消えた霊泉その木には、緑色と橙色の実が付いています。
熟すと橙色になるようで、孵化する蛸のような感じです。
何という木なのか分からず、後日ネットでお聞きしたら、クワ科の「梶(かじ)の木」だと教えて頂きました。
「梶の木」は、神道では神聖な樹木のひとつで、神社の境内にはよく植えられるのだそうです。
そんな木とは知らず、不気味だなんて言っちゃって、失礼いたしました。

消えた霊泉そろそろ、この神社の名前をお伝えしましょうか。
ここは、「弘法の七つ井戸」で有名な「鈴宮(すずみや)神社」です。
昭和四十八年(1973)頃は、写真のようにその井戸も残っていたようです。(「高崎の名所と伝説」より)

消えた霊泉今は、葛の葉にびっしり覆われて、井戸があるのかないのか分かりません。

今から千二百年ほど昔、この矢島辺りは、井戸を掘っても水質が悪く水量も少ないため、飲料水に困って井野川の水を汲んで使っていたそうです。

村人は毎朝早く、重い水桶を担いで川から汲み上げなければならず、それは「水地獄」と言うほどの重労働だったといいます。
そこへ、たまたま通りかかったのが弘法大師です。
村人が困っている姿を見て、持っていた金剛杖を「えいっ」と大地に突き刺すと、そこから清く冷たい水が、こんこんと湧き出しましたとさ。

そのようにして、弘法大師が七か所に井戸を掘ったので、「弘法の七つ井戸」というのだそうです。
「鈴宮神社」は、もとは冷たい水に因んで「冷宮(すずみや)神社」と書いたといいます。

消えた霊泉境内に「町谷水道記念碑」というのが建っています。

碑文を見ると、昭和三十二年(1957)に霊泉脈を掘って簡易水道を完成したとあります。
「弘法の井戸」の水脈を利用した訳です。
この簡易水道は昭和四十二年(1967)に市の上水道が通るまで、この地区の人々の生活を潤していたのです。

さしもの「霊泉」も、この地区にできた工業団地による大量の地下水汲み上げのためか、今はすっかり枯れてしまいました。
せめて、井戸跡だけでも復元できないものでしょうか。

【鈴宮神社】
消えた霊泉





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Posted by 迷道院高崎 at 05:54
Comments(9)◆高崎探訪
この記事へのコメント
高崎にも弘法大師の伝説があるのですね。


この辺りには島名とか矢島、西島、京ヶ島など「島」の付く地名が多く見られますが、利根川水系の氾濫原にぽつぽつと存在する小高い丘だったのでしょうか。
高台ゆえに水汲みには多大な労力が要りましたし、井戸も深井戸で水脈を探すのに苦労したことと想像します。

弘法大師は宗教家としてだけではなく、土木技術者としても有名で、井戸の掘削、灌漑池や堤の造成などの記録があります。この井戸も当時の最新技術によって完成を見たのではないでしょうか。
Posted by ふれあい街歩き  at 2009年09月04日 12:02
>ふれあい街歩きさん

そうですよね。「島」の付く地名が固まっています。
「倭名類聚抄」にある群馬郡島名郷は結構広い地域で、その後分かれて、元島名、矢島、島野、西島の各村になったようです。
京ヶ島は、京目の「京」と各「島」村の合成名だそうです。

弘法大師は、すごいスペシャリストだったんですね。
なおさら、「弘法の井戸」復元して残しておかないと!
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2009年09月04日 19:40
>迷道院高崎様


ご指摘ありがとうございます。
もともとはひとつの地名だった郷が分かれたのと合成地名だったのですね。

弘法大師もすごいですが、武蔵野(多摩郡や入間郡あたり)にたくさん見られる深井戸や渡来人技術者の存在も関連が気になります。
Posted by ふれあい街歩き  at 2009年09月04日 20:17
>ふれあい街歩きさん

へへへっ、田島桂男先生の受け売りです(^^ゞ
先日、田島先生の講演を聞いてきたばかりでして・・・。

そうそう、観音山から山名や吉井の丘陵地帯は、渡来人の技術者が沢山いた一大工業地帯だったと聞いたことがあります。
あんな昔に、国境を越えた技術交流があったなんて、すごいことですよね。

いつもコメントありがとうございます。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2009年09月04日 20:28
こんにちは(^_^)
最近 近所の事が書かれているので ちょくちょく立ち寄って 拝見させていただいてます♪
島野町にそんな由緒のある神社があるなんて知りませんでした(^^ゞ
深井戸のお話で…吉井町に 知り合いがいまして 昔は豪農だったらしいのですが そちらのお宅の井戸には 木をくり抜いた 筒状の井戸枠を使っていたとの事 渡来人たちの技術だったのでしょうか?
Posted by はろはろ〜  at 2009年09月05日 05:24
すみません 矢島町でしたねm(__)m
Posted by はろはろ〜  at 2009年09月05日 05:27
>はろはろ〜さん

そうでしたか、お近くでしたかー!
井野川沿いには、興味深いところが沢山あるんですよね。
懐かしい風景や建物が多くて、取材すればするほど素晴らしいところだと感じています。

これからもよろしくお付き合いください!
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2009年09月05日 08:55
コメント失礼致します。
高崎市の矢島町の今昔を記念誌の一部に作成を検討しています。
この七つ井戸の写真は矢島地区の場所になりますでしょうか?材料不足でネットから拝見しました。宜しければ教えてください。宜しくお願い致します。
Posted by 地元今昔の記念誌作成中の者です。  at 2023年10月06日 19:21
>矢島町記念誌作成者様

コメント、ありがとうございます。
矢島町内の鈴宮神社です。
地図がリンク切れで表示されていなかったですね。
申し訳ありません。
修正いたしましたので、ご確認ください。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2023年10月07日 11:45
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