

何なんでしょう?

←拝殿の右には、お札の納め所なのでしょうが、中に何体もの人形が置かれていました。
私には、何やら人形が苦悶している姿に見えて仕方がありませんでした。

これは、何を意味するのでしょうか。

幹には、不気味なコブが沢山ついていて、病に冒されてでもいるかのようです。
置かれている、ペール缶や輪切りにした木は何なのでしょう。
恐る恐る近づいてみると、どうやら養蜂のためのものらしいということが分かりました。

熟すと橙色になるようで、孵化する蛸のような感じです。
何という木なのか分からず、後日ネットでお聞きしたら、クワ科の「梶(かじ)の木」だと教えて頂きました。
「梶の木」は、神道では神聖な樹木のひとつで、神社の境内にはよく植えられるのだそうです。
そんな木とは知らず、不気味だなんて言っちゃって、失礼いたしました。

ここは、「弘法の七つ井戸」で有名な「鈴宮(すずみや)神社」です。
昭和四十八年(1973)頃は、写真のようにその井戸も残っていたようです。(「高崎の名所と伝説」より)

今から千二百年ほど昔、この矢島辺りは、井戸を掘っても水質が悪く水量も少ないため、飲料水に困って井野川の水を汲んで使っていたそうです。
村人は毎朝早く、重い水桶を担いで川から汲み上げなければならず、それは「水地獄」と言うほどの重労働だったといいます。
そこへ、たまたま通りかかったのが弘法大師です。
村人が困っている姿を見て、持っていた金剛杖を「えいっ」と大地に突き刺すと、そこから清く冷たい水が、こんこんと湧き出しましたとさ。
そのようにして、弘法大師が七か所に井戸を掘ったので、「弘法の七つ井戸」というのだそうです。
「鈴宮神社」は、もとは冷たい水に因んで「冷宮(すずみや)神社」と書いたといいます。

碑文を見ると、昭和三十二年(1957)に霊泉脈を掘って簡易水道を完成したとあります。
「弘法の井戸」の水脈を利用した訳です。
この簡易水道は昭和四十二年(1967)に市の上水道が通るまで、この地区の人々の生活を潤していたのです。
さしもの「霊泉」も、この地区にできた工業団地による大量の地下水汲み上げのためか、今はすっかり枯れてしまいました。
せめて、井戸跡だけでも復元できないものでしょうか。
【鈴宮神社】