井野川に、宿大類町と元島名町を結ぶ「島名橋」という橋が架かっています。
宿大類側から橋を渡ると、道向こうに写真のような小高くなっているところがあります。
上の方は、沢山の「庚申塔」が並ぶ、いわゆる「百庚申」です。→
「庚申」については以前「三尸の虫(さんしのむし)」にも書いたのですが、60日に一度来る「庚申の日」に行うという「庚申講」を、3年(18回)続けた記念に1基の「庚申塔」を造立するのだそうです。
では「百庚申」はというと、60年に一度来る「庚申の年」に100基の「庚申塔」を造立するのだといいます。
ただ、日本各地に「百庚申」というのがありますが、必ずしも100基揃っている訳でもなく、1基の「庚申塔」に「百庚申」という文字を刻んで済ませたものすらあるようで、そこはまぁ・・・。
ここの「百庚申」の麓には、寛政十二年(1800)と刻まれた「双体道祖神」があります。
寛政十二年も、ちょうど「庚申の年」にあたりますので、おそらくそれを記念してのものでしょう。
ぱっと見、どこにでもありそうな「双体道祖神」ですが、これが実はお茶目なのです。
左の女性が持っている徳利が「男根」の形をしているというのです。
どうでしょう?そう見えますか?
まぁ、そう見れば、そう見えなくもないという感じでしょうか。
もうひとつ、「双体道祖神」と対になるように、こんな「自然石」が置かれています。→
この石の名前がまた、「男根石」というのだそうですから、何ともはやです。
これも、そう見れば・・・というところでしょうかね。
見ようによっては、光背をつけた仏様のお姿にも見えます。
私の想像ですが、いずれも最初は敬虔な気持ちで造立されたものだと思います。
でもきっと、村人の中に、これを「男根」と連想するお茶目な人がいて、面白可笑しく広まっていったのではないでしょうか。
朝な夕なに、鍬を担いだお百姓さんが、笑いながら頭を下げて通り過ぎる姿が目に浮かびます。
ただ、上大類町の飯玉神社入り口には、意識的にお茶目をしたと思われる「双体道祖神」があります。
この道祖神の女性が持っている徳利も、元島名と同じような形をしていますが、本当にお茶目なのは、その側面です。
どうです?これ。→
どう見ても意識的に彫り込んだとしか思えない、「男根」形ですよね。
さりげなく、こんなお茶目をする先人たち。
可愛いですよね。
私は、そんな先人たちが、大好きです!
宿大類側から橋を渡ると、道向こうに写真のような小高くなっているところがあります。
上の方は、沢山の「庚申塔」が並ぶ、いわゆる「百庚申」です。→
「庚申」については以前「三尸の虫(さんしのむし)」にも書いたのですが、60日に一度来る「庚申の日」に行うという「庚申講」を、3年(18回)続けた記念に1基の「庚申塔」を造立するのだそうです。
では「百庚申」はというと、60年に一度来る「庚申の年」に100基の「庚申塔」を造立するのだといいます。
ただ、日本各地に「百庚申」というのがありますが、必ずしも100基揃っている訳でもなく、1基の「庚申塔」に「百庚申」という文字を刻んで済ませたものすらあるようで、そこはまぁ・・・。
ここの「百庚申」の麓には、寛政十二年(1800)と刻まれた「双体道祖神」があります。
寛政十二年も、ちょうど「庚申の年」にあたりますので、おそらくそれを記念してのものでしょう。
ぱっと見、どこにでもありそうな「双体道祖神」ですが、これが実はお茶目なのです。
左の女性が持っている徳利が「男根」の形をしているというのです。
どうでしょう?そう見えますか?
まぁ、そう見れば、そう見えなくもないという感じでしょうか。
もうひとつ、「双体道祖神」と対になるように、こんな「自然石」が置かれています。→
この石の名前がまた、「男根石」というのだそうですから、何ともはやです。
これも、そう見れば・・・というところでしょうかね。
見ようによっては、光背をつけた仏様のお姿にも見えます。
私の想像ですが、いずれも最初は敬虔な気持ちで造立されたものだと思います。
でもきっと、村人の中に、これを「男根」と連想するお茶目な人がいて、面白可笑しく広まっていったのではないでしょうか。
朝な夕なに、鍬を担いだお百姓さんが、笑いながら頭を下げて通り過ぎる姿が目に浮かびます。
ただ、上大類町の飯玉神社入り口には、意識的にお茶目をしたと思われる「双体道祖神」があります。
この道祖神の女性が持っている徳利も、元島名と同じような形をしていますが、本当にお茶目なのは、その側面です。
どうです?これ。→
どう見ても意識的に彫り込んだとしか思えない、「男根」形ですよね。
さりげなく、こんなお茶目をする先人たち。
可愛いですよね。
私は、そんな先人たちが、大好きです!
【元島名町の百庚申】
【上大類町・飯玉神社の双体道祖神】