中仙道に名も高き
高崎市(まち)は上野(こうづけ)の
商工業の首脳の地
人口三万八千余
高崎市(まち)は上野(こうづけ)の
商工業の首脳の地
人口三万八千余
私の両親は「高崎唱歌」がつくられた明治四十一年(1908)生まれですが、父は久留馬村本郷、母は八幡村山名の産なので、残念ながら三万八千余には含まれてません。
今年の高崎市の人口は4月末時点で369,891人ですから、114年間でほぼ10倍になった訳です。
市制が敷かれた明治三十三年(1900)からの人口の推移を、グラフにしてみました。
近隣町村との合併により、人口が増えてきたことがよく分かります。
市域面積と世帯数の変化も併せて見てみましょう。
年 | 面積 | 世帯数 | 人口 |
明治33年 | 4.87k㎡ | 5,924戸 | 32,467人 |
昭和5年 | 28.04k㎡ | 12,246戸 | 59,928人 |
昭和15年 | 35.58k㎡ | 14,504戸 | 71,002人 |
昭和26年 | 41.77k㎡ | 20,807戸 | 100,053人 |
昭和30年 | 71.26k㎡ | 25,896戸 | 125,195人 |
昭和31年 | 87.87k㎡ | 27,861戸 | 134,426人 |
昭和32年 | 89.34k㎡ | 28,818戸 | 137,046人 |
昭和38年 | 93.96k㎡ | 37,736戸 | 160,123人 |
昭和40年 | 110.56k㎡ | 43,397戸 | 173,887人 |
平成元年 | 110.72k㎡ | 78,604戸 | 236,109人 |
平成18年 | 401.01k㎡ | 130,705戸 | 340,881人 |
平成21年 | 459.41k㎡ | 150,899戸 | 374,622人 |
令和元年 | 459.41k㎡ | 156,353戸 | 368,667人 |
令和3年 | 459.41k㎡ | 162,415戸 | 371,878人 |
平成二十一年(2009)の合併以降、世帯数は増えているのに人口は伸び悩んでいるのが分かります。
やはり、少子化ということなんでしょうか。
高崎市制100周年記念としてつくられた「高崎かるた」に、こんな札があります。
子どもを産みやすい、育てやすい、そんな市(まち)であって欲しいと思います。