箕郷町の、旧矢原村字卜神(ぼくしん)にある「諏訪神社」。
石柱の隣に、史跡看板が建っています。
看板には、剣豪・塚原卜伝のことがたくさん書いてあるので、卜伝が祀られているのかと思ってしまいますが、「箕郷町誌」にはこう書かれています。
卜伝が水行をしたという「弁才天の池」は、想像してみるしかありません。
看板の冒頭、「石鳥居と石灯籠の間を社殿に進むと、天神鴨流柔術の額」があると書いてありますが・・・、
行ってみると、すっかり退色してしまっていて・・・。
ただ、「天神鴨流」じゃないかも・・・。
辛うじて「天神真楊流」と読めます。
「鴨」はどこから出てきたんでしょう。
境内は子どものよい遊び場でもあるのでしょう、鉄棒やブランコがあります。
拝殿の天井絵や欄間の彫り物も立派です。
境内に建つ「寿詞」碑によると、古老の伝として永禄三年(1560)塚原卜伝の勧請となっていて、明治二年(1869)に社殿改造、大正三年(1914)に改修されたということですが、この天井絵と欄間はいつのものなのでしょう。
本殿の右奥にあるのが、「蠶(蚕)影山」(こかげさん)の石碑です。
「蚕影山」碑はもともと養蚕が栄えることを祈って建てるものですが、災害により投棄せざるを得なかったお蚕様の霊を弔うために建立されたものも少なくないようです。
明治二十年(1887)の雹(ひょう)害は主に榛名山東南麓を、明治二十六年(1893)の大凍霜害は安中地域を中心に県下一円の養蚕農家に大打撃を与えました。
「蚕影山」の築山の左に、木造の祠があります。
棟には「不動尊」という木札が掛けられているのですが、
なぜか肝心のお不動様は祠の後ろで雨ざらしになっています。
本殿の左側に、もうひとつ祠があります。
赤い鳥居が建っているのでお稲荷さんじゃないかと思うのですが、中には不思議なものが祀ってあります。
いったい何なんでしょう?
脇の沢沿いには、「藪茗荷」(やぶみょうが)の群落がきれいな白い花を付けていました。
「卜神諏訪神社」の隣にある山車庫の前にも、史跡看板が建っています。
神社の周辺をうろついていると貯水池があって、大きな石碑が建っていました。
こんなことが刻まれています。
土地に歴史あり、ですね。
石柱の隣に、史跡看板が建っています。
看板には、剣豪・塚原卜伝のことがたくさん書いてあるので、卜伝が祀られているのかと思ってしまいますが、「箕郷町誌」にはこう書かれています。
「 | 諏訪神社 |
祭神 建御名方神、木花之佐久夜毘売命 | |
由緒 永禄三年箕輪城主長野信濃守業政公の建立。 後台風にて社殿が荒廃したが、業政公の家臣上泉伊勢守の臣、塚原卜伝剣道修行のため其の境内の弁才天の池で、二十一日間の水行をし、当社に祈願した処その目的を達した。 |
|
故に卜伝礼拝再築した。」 |
卜伝が水行をしたという「弁才天の池」は、想像してみるしかありません。
看板の冒頭、「石鳥居と石灯籠の間を社殿に進むと、天神鴨流柔術の額」があると書いてありますが・・・、
行ってみると、すっかり退色してしまっていて・・・。
ただ、「天神鴨流」じゃないかも・・・。
辛うじて「天神真楊流」と読めます。
「鴨」はどこから出てきたんでしょう。
境内は子どものよい遊び場でもあるのでしょう、鉄棒やブランコがあります。
拝殿の天井絵や欄間の彫り物も立派です。
境内に建つ「寿詞」碑によると、古老の伝として永禄三年(1560)塚原卜伝の勧請となっていて、明治二年(1869)に社殿改造、大正三年(1914)に改修されたということですが、この天井絵と欄間はいつのものなのでしょう。
本殿の右奥にあるのが、「蠶(蚕)影山」(こかげさん)の石碑です。
「蚕影山」碑はもともと養蚕が栄えることを祈って建てるものですが、災害により投棄せざるを得なかったお蚕様の霊を弔うために建立されたものも少なくないようです。
明治二十年(1887)の雹(ひょう)害は主に榛名山東南麓を、明治二十六年(1893)の大凍霜害は安中地域を中心に県下一円の養蚕農家に大打撃を与えました。
「蚕影山」の築山の左に、木造の祠があります。
棟には「不動尊」という木札が掛けられているのですが、
なぜか肝心のお不動様は祠の後ろで雨ざらしになっています。
本殿の左側に、もうひとつ祠があります。
赤い鳥居が建っているのでお稲荷さんじゃないかと思うのですが、中には不思議なものが祀ってあります。
いったい何なんでしょう?
脇の沢沿いには、「藪茗荷」(やぶみょうが)の群落がきれいな白い花を付けていました。
「卜神諏訪神社」の隣にある山車庫の前にも、史跡看板が建っています。
神社の周辺をうろついていると貯水池があって、大きな石碑が建っていました。
こんなことが刻まれています。
大清水貯水池記念碑 | |
当地域は豊富なる湧水あり地名を大清水と銘名したと伝へらる。 | |
然るに米軍が相馬ヶ原に駐留し、演習砲弾と無数の重車輌のために草木の荒廃甚だしく、水源枯渇して全く保水力を失い、下流住民の死活問題となる。 | |
これが代償として貯水池新設の運動を重ね、関係各庁認むるところとなり、特別損失補償法により、こゝに大清水貯水池建設を見たのである。 | |
尚漏水を完全に防止するために再度改修工事を施工し完成せしものなり。 | |
この貯水池の活用により、箕郷町の発展と地域住民の生活を久遠に潤すことを信じ、碑石に刻んで記念するものである。 | |
昭和四十四年三月吉日 |
土地に歴史あり、ですね。
【卜神諏訪神社】
【諏訪神社山車庫】
【大清水貯水池】