2015年10月11日

駅から遠足 観音山(51)

前回、「山形のさくらんぼ」のルーツが、井上保三郎翁にあったという熊倉浩靖氏の一文をご紹介しました。
おそらく、熊倉氏の話の元となっているのは、昭和十三年(1938)に発行された、一文字欽也氏著「井上保三郎翁出世録」ではないかと思うのですが、それにはもう少し詳しく書かれています。

明治四十四年(1911)春、又保三郎の手で山形煙草專賣局の工事が請負れた。
この工事は二十二萬四千圓で、しかもこの當時、まれに見る煉瓦造りだったから、他に手を出す元氣な業者は少なかった。
これを請負った保三郎は、最初煉瓦は東京方面から取寄せる考へで居た。ところが東京から取寄せると日數は掛り、經費は掛りとても最初考へた様には簡単に行かなかった。

仕方がないから保三郎は土質さへ良かったら、現場で直造するより外方法がないと考へ早速山形市外の村々の土質を調べてみた。
幸ひなる哉、鐡島村と云ふ部落に、良質の土の有る事を發見した。
『もう、是れで工事は半分出來上ったのも同じだ。』と保三郎は小躍りして喜んだ。
早速其土地を買取って、窯を築き煉瓦の製造に取掛った。」



これにより、保三郎翁が桜桃を植えた場所は「山形市外の鐡島村」という所だということが分かりました。
ところが、これがどこなのかが分からないのです。
現在の地図にもなく、昔の市町村図にもなく、検索にも引っかからず、山形県史にもなく、市町村名変遷史にも出てきません。

駅から遠足 観音山(51)

斯くなる上はと、山形市役所にメールで問い合わせても見たのですが、そのような地名はないという回答です。
井上保三郎翁のこういう逸話が高崎には伝わっているが、という話にも、聞いたことがないという返事です。

さあ、これは一体どういうことなのでしょう。

駅から遠足 観音山(51)「山形煙草専売局」というのは、確かにあったんです。
確かに、煉瓦造りです。

専売局の場所も分かるんです。
駅から遠足 観音山(51)

謎は、「鐡島村」です。
そして、「山形のさくらんぼ 保三郎ルーツ説」は、本当なんでしょうか。

ご存知の方、ぜひご教示ください。

次回は、保三郎翁の銅像建立にまつわるお話です。





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この記事へのコメント
ふーん、不思議なお話しですよねぇ。
山形県の廃止市町村一覧に、3文字で「島」が付く村名は、「飽海郡 飛島村」と「東田川郡 藤島村」がありましたが、「鐡(鉄)」とは縁がなさそうですしね^^。
Posted by 風子風子  at 2015年10月12日 09:40
>風子さん

調べて頂いたんですね、ありがとうございます。

うーん、謎なんですよ。
わざと架空の地名にしたのかも知れませんけどね。
でも、すごく気になるんですよ。
これも、思い続けていると、ある日突然解けるのかも知れませんね。
楽しみと言えば、楽しみです。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2015年10月12日 11:41
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    コメント(2)