「清水の舞台」と呼ばれる楼門の手前で、カクンッと石段の勾配がきつくなっているのが分かるでしょうか。
昭和二年(1927)発行の「高崎市史」に掲載されている写真では、ずっと上まで同じ勾配で石段が続いています。
ここが勾配の変わる地点ですが、ここから石段の材質が変わり、一段の高さもやや高くなります。
さらに上ると、また材質が変わり、もっと高い二段が・・・。
大概の人は、ここを上がって「ふーっ」と大きく息を吐くことになります。
上がってみると、道が横切っています。
石段の途中から勾配が急になったのは、実はこの道のせいで、この辺の経緯は、過去記事「幸福になれる石段」に書いてあります。
さ、あと一頑張りで「観音堂」に到着です。
お賽銭を上げたら、「観音堂」の後ろへ回ってみましょう。
「千手堂」という額が掛けられているので、清水寺のご本尊・千手観音がここにいらっしゃると思う人もいるようです。→
←ここにいらっしゃるのは愛染明王で、ご住職の仰るには、ここでご本尊の後方を守ってらっしゃるのだそうです。
ものの本によると、愛染明王は「煩悩と愛欲は人間の本能でありこれを断ずることは出来ない、むしろこの本能そのものを向上心に変換して仏道を歩ませる。」とする功徳を持っているそうです。
そして、愛欲を否定しないことから、古くは遊女、現在では水商売の女性の信仰対象にもなっている。
また、「愛染=藍染」と解釈し、染物・織物職人の守護神としても信仰されている。
ということです。
いま榛名神社がパワースポットとして若い方々に大人気だそうです。
でも、「幸福への石段」を上り、清水の「千手観音」に広大無限のお慈悲を頂き、「愛染明王」が愛の成就をお手伝いしてくださるという、ここ清水寺こそ最強の「恋愛成就パワースポット」じゃないかと思うのですが、いかがでしょうか。
さらに白衣大観音、その背にある光音堂「一願観音」と組み合わせれば、観音山全体が「恋愛成就パワースポット」になります。
このご利益にあやからない手はないと思うのですが、観光課、観光協会、地元出身議員の方々、そして地元民の皆様は、どのようにお考えでしょうか。
さて、次回も清水寺からのお話です。
では、また。
昭和二年(1927)発行の「高崎市史」に掲載されている写真では、ずっと上まで同じ勾配で石段が続いています。
ここが勾配の変わる地点ですが、ここから石段の材質が変わり、一段の高さもやや高くなります。
さらに上ると、また材質が変わり、もっと高い二段が・・・。
大概の人は、ここを上がって「ふーっ」と大きく息を吐くことになります。
上がってみると、道が横切っています。
石段の途中から勾配が急になったのは、実はこの道のせいで、この辺の経緯は、過去記事「幸福になれる石段」に書いてあります。
さ、あと一頑張りで「観音堂」に到着です。
お賽銭を上げたら、「観音堂」の後ろへ回ってみましょう。
「千手堂」という額が掛けられているので、清水寺のご本尊・千手観音がここにいらっしゃると思う人もいるようです。→
←ここにいらっしゃるのは愛染明王で、ご住職の仰るには、ここでご本尊の後方を守ってらっしゃるのだそうです。
ものの本によると、愛染明王は「煩悩と愛欲は人間の本能でありこれを断ずることは出来ない、むしろこの本能そのものを向上心に変換して仏道を歩ませる。」とする功徳を持っているそうです。
そして、愛欲を否定しないことから、古くは遊女、現在では水商売の女性の信仰対象にもなっている。
また、「愛染=藍染」と解釈し、染物・織物職人の守護神としても信仰されている。
ということです。
いま榛名神社がパワースポットとして若い方々に大人気だそうです。
でも、「幸福への石段」を上り、清水の「千手観音」に広大無限のお慈悲を頂き、「愛染明王」が愛の成就をお手伝いしてくださるという、ここ清水寺こそ最強の「恋愛成就パワースポット」じゃないかと思うのですが、いかがでしょうか。
さらに白衣大観音、その背にある光音堂「一願観音」と組み合わせれば、観音山全体が「恋愛成就パワースポット」になります。
このご利益にあやからない手はないと思うのですが、観光課、観光協会、地元出身議員の方々、そして地元民の皆様は、どのようにお考えでしょうか。
さて、次回も清水寺からのお話です。
では、また。