JRの企画で、「駅からハイキング」というのがあるようですね。
期間限定ですが、高崎駅から観音山まで往復するプランらしいです。
そういえば、デイパックを背負って「観音道路」を歩いている人を、時折見かけます。
高崎市民でも、歩いて観音山まで行く人は少なくなりましたね。
昔は・・・、ってすぐ言うから年寄りは困ったもんですが、昔は、観音山なんて大抵の人が歩って行ったもんです。
小学校に入って最初の遠足も、観音山でした。
桜の季節になると、聖石橋から清水寺に至るいわゆる「観音道路」を、昼間から夜までぞろぞろ人が歩いていたもんです。
世の中が変わって、どこの家でも車を持つようになってからですかね、歩いて行く人が少なくなったのは。
そして、「観音山ヘルスセンター」がなくなり、「カッパピア」もなくなると、観音山を訪れる人自体めっきり少なくなりました。
昭和八年(1933)、井上保三郎翁を中心に高崎の有志が集って「観音山公園保勝会」なるものを設立し、「観音山に大公園を建設することにより、これからの高崎発展を期すべし!」と檄を飛ばしました。
その設立趣旨書の、格調高い文に込められた熱い思いを、いま再び噛みしめてみましょう。
81年を経た今でも全く色褪せることなく、現代の我々に対する檄文として心に響いてきませんか?
当時に比し市域は大きく広がりましたが、観音山が高崎市街地に最も近い景勝地であることに変わりはありません。
またそこへ行く道中には、歩きでなくては見つけられない先人の足跡が残っています。
さあ、出発しましょう!
高崎の発展を期して観音山を開発した先人の心に触れる、「駅から遠足」です!
次回は、スタート地点「高崎駅」のお話を。
期間限定ですが、高崎駅から観音山まで往復するプランらしいです。
そういえば、デイパックを背負って「観音道路」を歩いている人を、時折見かけます。
高崎市民でも、歩いて観音山まで行く人は少なくなりましたね。
昔は・・・、ってすぐ言うから年寄りは困ったもんですが、昔は、観音山なんて大抵の人が歩って行ったもんです。
小学校に入って最初の遠足も、観音山でした。
桜の季節になると、聖石橋から清水寺に至るいわゆる「観音道路」を、昼間から夜までぞろぞろ人が歩いていたもんです。
世の中が変わって、どこの家でも車を持つようになってからですかね、歩いて行く人が少なくなったのは。
そして、「観音山ヘルスセンター」がなくなり、「カッパピア」もなくなると、観音山を訪れる人自体めっきり少なくなりました。
昭和八年(1933)、井上保三郎翁を中心に高崎の有志が集って「観音山公園保勝会」なるものを設立し、「観音山に大公園を建設することにより、これからの高崎発展を期すべし!」と檄を飛ばしました。
その設立趣旨書の、格調高い文に込められた熱い思いを、いま再び噛みしめてみましょう。
「観音山公園保勝会設立趣旨」 |
地方繁栄ノ方策ハ元ヨリ多岐ナリト雖(いえど)モ名勝ヲ開発宣布シテ盛ニ外客ヲ誘致スルハ其ノ捷径(しょうけい:近道)ノ一(ひとつ)ナラズンバアラズ、 |
観音山ハ高崎市唯一ノ名勝ニシテ市ノ西南端ニ位シ、山勢高峻ナラズト雖モ平野ニ崛起(くっき)スルガ故ニ眺矚(ちょうしょく:眺め)頗(すこぶ)ル雄大、 |
而シテ春ハ桜花爛漫トシテ彩香ヲ漂ハシ、秋ハ紅楓燦然(さんぜん)トシテ錦繍(きんしゅう)ヲ織リ四時ノ風趣窮マル所ナリ、 |
遠近来リ遊ブモノ常ニ絶エズ、殊ニ山頂観音堂ハ坂上田村麻呂将軍ノ勧請ニシテ古来地方人ノ崇信篤ク、年次ノ縁日ニハ賽者四方ヨリ雲集シテ其ノ幾万ナルヲ知ラズ、真ニ関東有数ノ楽園ニシテ霊場タリ、 |
今若シ之ヲ拡張整理シテ更ニ近代的施設ヲ加フルニ於テハ恐ラクハ全国屈指ノ遊覧地区トシテ誇ルニ足ルノミナラズ、将来必ズ県立公園トシテ指定セラルゝノ機アルヲ信ジテ疑ハズ、 |
是ヲ以テ市ハ曩(さき:先)ニ市会ノ建議ニ基キ観音山公園造成ノ計画ヲ樹テ斯界ノ権威林学博士林氏ヲ聘シテ之ガ調査設計ニ当ラシメ、既ニ其ノ大綱ヲ決定シタルモ、偶(たまたま)時局多端ニシテ財政緊迫ヲ告ゲ即時実施ニ着手シ難キ事情アリ荏苒(じんぜん:延び延び)今日ニ至レリ、 |
抑(そ)モ市ノ繁栄ハ即チ県ノ繁栄ニシテ市民及県民ノ其ノ恵ニ均霑(きんてん:均しく潤す)スル所ナリ、 |
之ガ対策ヲ講ズルニ当タリ独リ当局有司ニ委ネテ拱手(きょうしゅ:手をこまねいて)成ヲ待ツベキニアラズ、宜シク市民及県民自ラ進ンデ経営周旋スルノ覚悟ナカルベカラス、 |
不肖等茲(ここ)ニ見ル所アリ、同志相計リ観音山公園保勝会ヲ組織シ観音山公園造成ノ遂行ヲ促進スルト共ニ将来更ニ其ノ開発宣布ニ努メ以テ市及県ノ繁栄ニ資スル所アランコトヲ期ス、 |
希(ねがわ)クハ愛郷ノ士競ッテ盟ニ加ワリ力ヲ協(あわ)セ以テ目的ノ達成ヲ速ヤカナラシムルニ吝(やぶさか)ナラザランコトヲ敢テ趣旨ノ存スル所ヲ述ベテ大方ニ檄ス。 |
昭和八年二月 発起人 |
81年を経た今でも全く色褪せることなく、現代の我々に対する檄文として心に響いてきませんか?
当時に比し市域は大きく広がりましたが、観音山が高崎市街地に最も近い景勝地であることに変わりはありません。
またそこへ行く道中には、歩きでなくては見つけられない先人の足跡が残っています。
さあ、出発しましょう!
高崎の発展を期して観音山を開発した先人の心に触れる、「駅から遠足」です!
次回は、スタート地点「高崎駅」のお話を。