2014年08月31日

駅から遠足 観音山(1)

駅から遠足 観音山(1)JRの企画で、「駅からハイキング」というのがあるようですね。
期間限定ですが、高崎駅から観音山まで往復するプランらしいです。

そういえば、デイパックを背負って「観音道路」を歩いている人を、時折見かけます。

高崎市民でも、歩いて観音山まで行く人は少なくなりましたね。

駅から遠足 観音山(1)昔は・・・、ってすぐ言うから年寄りは困ったもんですが、昔は、観音山なんて大抵の人が歩って行ったもんです。

小学校に入って最初の遠足も、観音山でした。

駅から遠足 観音山(1)
桜の季節になると、聖石橋から清水寺に至るいわゆる「観音道路」を、昼間から夜までぞろぞろ人が歩いていたもんです。

世の中が変わって、どこの家でも車を持つようになってからですかね、歩いて行く人が少なくなったのは。
そして、「観音山ヘルスセンター」がなくなり、「カッパピア」もなくなると、観音山を訪れる人自体めっきり少なくなりました。

昭和八年(1933)、井上保三郎翁を中心に高崎の有志が集って「観音山公園保勝会」なるものを設立し、「観音山に大公園を建設することにより、これからの高崎発展を期すべし!」と檄を飛ばしました。
その設立趣旨書の、格調高い文に込められた熱い思いを、いま再び噛みしめてみましょう。

「観音山公園保勝会設立趣旨」

 地方繁栄ノ方策ハ元ヨリ多岐ナリト雖(いえど)モ名勝ヲ開発宣布シテ盛ニ外客ヲ誘致スルハ其ノ捷径(しょうけい:近道)ノ一(ひとつ)ナラズンバアラズ、
 観音山ハ高崎市唯一ノ名勝ニシテ市ノ西南端ニ位シ、山勢高峻ナラズト雖モ平野ニ崛起(くっき)スルガ故ニ眺矚(ちょうしょく:眺め)(すこぶ)ル雄大、
 而シテ春ハ桜花爛漫トシテ彩香ヲ漂ハシ、秋ハ紅楓燦然(さんぜん)トシテ錦繍(きんしゅう)ヲ織リ四時ノ風趣窮マル所ナリ、
 遠近来リ遊ブモノ常ニ絶エズ、殊ニ山頂観音堂ハ坂上田村麻呂将軍ノ勧請ニシテ古来地方人ノ崇信篤ク、年次ノ縁日ニハ賽者四方ヨリ雲集シテ其ノ幾万ナルヲ知ラズ、真ニ関東有数ノ楽園ニシテ霊場タリ、
 今若シ之ヲ拡張整理シテ更ニ近代的施設ヲ加フルニ於テハ恐ラクハ全国屈指ノ遊覧地区トシテ誇ルニ足ルノミナラズ、将来必ズ県立公園トシテ指定セラルゝノ機アルヲ信ジテ疑ハズ、
 是ヲ以テ市ハ曩(さき:先)ニ市会ノ建議ニ基キ観音山公園造成ノ計画ヲ樹テ斯界ノ権威林学博士林氏ヲ聘シテ之ガ調査設計ニ当ラシメ、既ニ其ノ大綱ヲ決定シタルモ、偶(たまたま)時局多端ニシテ財政緊迫ヲ告ゲ即時実施ニ着手シ難キ事情アリ荏苒(じんぜん:延び延び)今日ニ至レリ、
 抑(そ)モ市ノ繁栄ハ即チ県ノ繁栄ニシテ市民及県民ノ其ノ恵ニ均霑(きんてん:均しく潤す)スル所ナリ、
 之ガ対策ヲ講ズルニ当タリ独リ当局有司ニ委ネテ拱手(きょうしゅ:手をこまねいて)成ヲ待ツベキニアラズ、宜シク市民及県民自ラ進ンデ経営周旋スルノ覚悟ナカルベカラス、
 不肖等茲(ここ)ニ見ル所アリ、同志相計リ観音山公園保勝会ヲ組織シ観音山公園造成ノ遂行ヲ促進スルト共ニ将来更ニ其ノ開発宣布ニ努メ以テ市及県ノ繁栄ニ資スル所アランコトヲ期ス、
 (ねがわ)クハ愛郷ノ士競ッテ盟ニ加ワリ力ヲ協(あわ)セ以テ目的ノ達成ヲ速ヤカナラシムルニ吝(やぶさか)ナラザランコトヲ敢テ趣旨ノ存スル所ヲ述ベテ大方ニ檄ス。
昭和八年二月 発起人

81年を経た今でも全く色褪せることなく、現代の我々に対する檄文として心に響いてきませんか?

当時に比し市域は大きく広がりましたが、観音山高崎市街地に最も近い景勝地であることに変わりはありません。
またそこへ行く道中には、歩きでなくては見つけられない先人の足跡が残っています。

さあ、出発しましょう!
高崎の発展を期して観音山を開発した先人の心に触れる、「駅から遠足」です!

次回は、スタート地点「高崎駅」のお話を。





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Posted by 迷道院高崎 at 08:06
Comments(10)観音山遠足
この記事へのコメント
観音山は、私も遠足で行きました。

最近、本で知りましたが、観音様は
伊勢崎市出身の彫金家の森村さんが原型を製作した様ですね、
其れに、その原型を、田中角栄が自転車で運んだようですね、
モデルは、奥さんだったみたいですね!

私ももう40年近く観音山には行ってないので
また、行ってみたいです。

灯台下暗しですね。
Posted by wasada49  at 2014年08月31日 08:30
>wasada49さん

伊勢崎も、遠足は観音山でしたか。

仰る通り、観音様の原型を製作したのは、伊勢崎の森村酉三氏です。
観音様の足下に、森村氏の碑が建っていますよ。
観音様のモデルが奥さんだという話は、知りませんでした。
美人だったんですね。
そのお孫さんが森村恭一郎さんですから、ぜひ観音様の所でサックスを演奏して欲しいものです。

観音山の遠足に、ぜひお出掛け下さい。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2014年08月31日 17:22
こんばんは。恥ずかしながら、私も観音山へ徒歩で行った事はありません(汗)

群馬県護国神社の近所に住んでいながら、この体たらく。本当に恥ずかしいです。

観音山はもったいないですよね。大きな無料駐車場と自動車道路があれば・・・というのはマイカー族の発想ですね。

http://blogs.yahoo.co.jp/sac_murakumo
Posted by SAC  at 2014年09月01日 22:11
ご無沙汰いたしました。m(__)m

そういえば先日 旧板鼻宿を歩いていて、デイバッグを背負ったシニアのご夫婦に出会ったので、どちらから?と声をかけると、大阪から中山道歩きに来ているということでした。
何回かに分けて歩いているそうです。
無事に踏破できることを祈りつつお別れしましたが、元気なシニアが街道歩きや街歩きを愉しんでいるみたいですね。
「駅から遠足」も楽しそう!見処いっぱいの高崎にも、多くの方が訪れてくれるといいですね^^。
Posted by 風子風子  at 2014年09月02日 19:59
>SACさん

地元は、身近すぎのでかえって行きませんよね。

昔は和田橋がなかったので、護国神社の方から上るには八千代橋を渡って行きましたね。
仙人隠れへ行くには、そのコースでした。

観音山は、もっとPRに力を入れていい観光地だと思います。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2014年09月02日 20:08
>風子さん

やっと涼しくなってきましたね。
お散歩するには、いい季節になってきました。

街道歩きをしているシニア、よく見かけますね。
最近、若いカップルもMAP片手に歩いてるのを見かけて、すごく嬉しくなります。

それだけに、高崎はもっと名所・史跡の案内看板を充実させたいと思います。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2014年09月02日 20:20
高校時代は一応毎日、麓にある学校に通っていましたし、マラソン大会は観音山を廻って来るコースで、よく走った(歩いた)ものです。

高校の卒業写真(クラス写真)は、清水寺で撮ったことを思い出しますが、最近は高崎に帰っても観音山に「登る」ことはほとんどありません。

高崎駅から観音山まで、迷道院さんの切り口、楽しみにしております。
Posted by キレイズキ  at 2014年09月04日 19:37
>キレイズキさん

そうか、麓にある高校でしたね(^_^)
慈眼院のご住職もその高校で、毎日清水寺の石段を駆け降りて登校(下校?)したと言ってました。

石段コース、何とか盛り上げたいんですけどね。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2014年09月04日 20:18
ご住職も「高崎わたしばなし」で、もっと歩いて登ってほしいと仰ってました。

来年は歩いて登り、花見をしましょう。

しかし・・・
「之ガ対策ヲ講ズルニ当タリ独リ当局有司ニ委ネテ拱手(きょうしゅ:手をこまねいて)成ヲ待ツベキニアラズ、宜シク市民及県民自ラ進ンデ経営周旋スルノ覚悟ナカルベカラス」

この一文は響きますね。
Posted by かめだ  at 2014年09月07日 10:07
>かめださん

現代人は、少し行政にお任せし過ぎかもしれません。
島根県の海士町における、行政と町民の関係がお手本になるかもしれませんね。

清水寺石段コースを復活させる案、一つ温めてるんですけど・・・。
http://inkyo.gunmablog.net/e108526.html
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2014年09月07日 17:57
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