今日は、昭和55年に高崎観光協会が発行した「観音山観光診断に基づく提案レポート」について、ご紹介するつもりであったが、今朝の新聞を見て気が変った。
その新聞記事とは、
上毛新聞の「高崎市 『哲学堂』購入へ 3月議会に予算案」
というものである。
すでに伝えられているように「哲学堂」は、貴重な文化資産を競売によって失うことを防ぐために、高崎市が購入の意思を示している。
このこと自体、大賛成である。
しかし、このことを検討している市議会総務常任委員会のメンバーから、「駅に近くて雰囲気も良いので、市の迎賓館として利用したらどうか。」という意見が出たということが、気になるのである。
いろいろな意見を言うことは、決して悪いことではない。
また、発言者個人を非難するつもりもない。
ただ、この意見の底流に流れている、市議会議員としての意識、発想力、哲学の乏しさが気になるのである。
まず、「市民の税金を使って購入するんだ」という意識が乏しい。
いわば、「購入するのは市民なのだ」という意識が乏しいのである。
それゆえに、市民の役に立つ施設にして還元する、という発想が湧かないのであろう。
次に、この「哲学堂」創始者の志は何であったか、ということに思いを馳せる哲学的思考力が乏しい。
「哲学堂」を、単なる役所の施設、観光施設、美術博物館にしてはならない。
現代人が置き忘れてきたと言われる、「心の豊かさ」をもう一度考え直す場として、「哲学堂」を活用してほしいと切に願う。
その新聞記事とは、
上毛新聞の「高崎市 『哲学堂』購入へ 3月議会に予算案」
というものである。
すでに伝えられているように「哲学堂」は、貴重な文化資産を競売によって失うことを防ぐために、高崎市が購入の意思を示している。
このこと自体、大賛成である。
しかし、このことを検討している市議会総務常任委員会のメンバーから、「駅に近くて雰囲気も良いので、市の迎賓館として利用したらどうか。」という意見が出たということが、気になるのである。
いろいろな意見を言うことは、決して悪いことではない。
また、発言者個人を非難するつもりもない。
ただ、この意見の底流に流れている、市議会議員としての意識、発想力、哲学の乏しさが気になるのである。
まず、「市民の税金を使って購入するんだ」という意識が乏しい。
いわば、「購入するのは市民なのだ」という意識が乏しいのである。
それゆえに、市民の役に立つ施設にして還元する、という発想が湧かないのであろう。
次に、この「哲学堂」創始者の志は何であったか、ということに思いを馳せる哲学的思考力が乏しい。
「哲学堂」を、単なる役所の施設、観光施設、美術博物館にしてはならない。
現代人が置き忘れてきたと言われる、「心の豊かさ」をもう一度考え直す場として、「哲学堂」を活用してほしいと切に願う。