金古の絹市場で上映された映画の題名は、「昭和のおふさ」でした。
「昭和の・・・」とあるのですから、きっと大正か、明治か、あるいはそれ以前の人に違いありませんが、「おふさ」というのはいったい誰のことなのでしょう。
「昭和のおふさ」と呼ばれた富澤ミエさんは、幼い時に父を亡くし、弟の面倒を見ながらお母さんをたすけて「孝女」と呼ばれたということなので、そんなキーワードでググってみたところ、修身の本にそれらしき「ふさ」を見つけました。
もう少し高学年向けの本で見てみましょう。
どうも、いま一つよく分からないので、さらに探してみると、大正十二年(1923)発行の「少年少女お話しの泉」という本に、「孝女ふさ」というお話が載っているのを見つけました。
おふささんは、播磨国加東郡三草村(現・兵庫県加東市上三草)の人でした。
さらに調べてみると、地元の方が、「ふるさと加東の歴史再発見」というブログの中で、「孝女ふさ」について詳しい記事を書いておられました。
とても良い話です。どうぞ全文をお読み頂きますように。
◇「孝女ふさ-孝子物語に書かれた物語」①
◇「孝女ふさ-孝子物語に書かれた物語」②
◇「孝女ふさ-孝子物語に書かれた物語」③
◇「孝女ふさ-孝子物語に書かれた物語」④
余談ですが、この方のブログを拝見すると、何となく迷道院と同じ思いを持つ方のようで、親近感を感じております。
ということで、おふささんが播磨の人で、時代的には江戸時代、どのような話かということも分かってきました。
では、「昭和のおふさ」と呼ばれた富澤ミエさんは、どのような孝女だったのでしょう。
次回は、そのお話しです。
「昭和の・・・」とあるのですから、きっと大正か、明治か、あるいはそれ以前の人に違いありませんが、「おふさ」というのはいったい誰のことなのでしょう。
「昭和のおふさ」と呼ばれた富澤ミエさんは、幼い時に父を亡くし、弟の面倒を見ながらお母さんをたすけて「孝女」と呼ばれたということなので、そんなキーワードでググってみたところ、修身の本にそれらしき「ふさ」を見つけました。
もう少し高学年向けの本で見てみましょう。
どうも、いま一つよく分からないので、さらに探してみると、大正十二年(1923)発行の「少年少女お話しの泉」という本に、「孝女ふさ」というお話が載っているのを見つけました。
おふささんは、播磨国加東郡三草村(現・兵庫県加東市上三草)の人でした。
さらに調べてみると、地元の方が、「ふるさと加東の歴史再発見」というブログの中で、「孝女ふさ」について詳しい記事を書いておられました。
とても良い話です。どうぞ全文をお読み頂きますように。
◇「孝女ふさ-孝子物語に書かれた物語」①
◇「孝女ふさ-孝子物語に書かれた物語」②
◇「孝女ふさ-孝子物語に書かれた物語」③
◇「孝女ふさ-孝子物語に書かれた物語」④
余談ですが、この方のブログを拝見すると、何となく迷道院と同じ思いを持つ方のようで、親近感を感じております。
ということで、おふささんが播磨の人で、時代的には江戸時代、どのような話かということも分かってきました。
では、「昭和のおふさ」と呼ばれた富澤ミエさんは、どのような孝女だったのでしょう。
次回は、そのお話しです。