しばしブログをお休みさせて頂きました。
理由を申し上げなかったためにご心配頂いた向きもあったようで、お詫び申し上げます。
さて、鎌倉街道の続きですが、「花見堂」辺りからどこを通っていたのか、「歴史の道調査報告書」でもサラッとしか書かれていません。
しかし、私にはどうもその道が鎌倉街道だとは思えません。
「花見堂」に源義家伝説が残り、その南には旧中山道の一里塚が残っているということは、おそらくその間に鎌倉街道が通っていたのではないかと思うのです。
ウロウロしていたら、「PHOTO GALLERY 遊々舎」という看板が立つ、ちょっとお洒落な松林がありました。

林の中を歩いていくと、立派な造りの素敵な建物が建っています。
高崎市の景観重要建造物に指定されている浦野家の住宅でした。
明治から大正に建てられた、養蚕農家住宅だそうです。
「遊々舎」という表札が掛かってはいますが、門は閉ざされています。
今日は閉館日のようなので、後日改めてギャラリーを見せて頂こうと、いったん戻ることに致しました。
家に戻ってから、ネットで「遊々舎」や「浦野家」を検索してみましたが、開館日や電話番号が載ったページは見つかりませんでした。
住所を頼りに電話帳を引き、それらしき電話番号に掛けてみたところ、それが大当たりでした。
お電話のお話しでは、現在ギャラリーは閉館していて、一般公開はしていないとのことでした。
でも、こちらの残念そうな声が伝わったのでしょうか、「私の都合のよい時でしたら、お見えになっても良いですよ。」と言って頂きました。
では、ということで、早速アポを取って伺うことに致しました。
その話は、また次回に。
理由を申し上げなかったためにご心配頂いた向きもあったようで、お詫び申し上げます。
さて、鎌倉街道の続きですが、「花見堂」辺りからどこを通っていたのか、「歴史の道調査報告書」でもサラッとしか書かれていません。
「 | 豊岡の北部環状線道路で伝承の道は切れて歴然としないが、信越線の群馬八幡駅へ向かう道があり、古い道を改修したと思われる。」 |
しかし、私にはどうもその道が鎌倉街道だとは思えません。
「花見堂」に源義家伝説が残り、その南には旧中山道の一里塚が残っているということは、おそらくその間に鎌倉街道が通っていたのではないかと思うのです。


林の中を歩いていくと、立派な造りの素敵な建物が建っています。
高崎市の景観重要建造物に指定されている浦野家の住宅でした。
明治から大正に建てられた、養蚕農家住宅だそうです。
「遊々舎」という表札が掛かってはいますが、門は閉ざされています。
今日は閉館日のようなので、後日改めてギャラリーを見せて頂こうと、いったん戻ることに致しました。
家に戻ってから、ネットで「遊々舎」や「浦野家」を検索してみましたが、開館日や電話番号が載ったページは見つかりませんでした。
住所を頼りに電話帳を引き、それらしき電話番号に掛けてみたところ、それが大当たりでした。
お電話のお話しでは、現在ギャラリーは閉館していて、一般公開はしていないとのことでした。
でも、こちらの残念そうな声が伝わったのでしょうか、「私の都合のよい時でしたら、お見えになっても良いですよ。」と言って頂きました。
では、ということで、早速アポを取って伺うことに致しました。
その話は、また次回に。
【高崎市景観重要建造物指定 浦野家住宅】