2011年11月09日

諏訪の浮城を見てきました

諏訪の浮城を見てきましたさて、どこのお城でしょう。
なんとも素晴らしい景観ですね。

高崎城と同じく明治維新によって城の建物が売却・破却されましたが、昭和四十五年(1970)に市民の熱意によって復元されたという、諏訪市「高島城」です。

かつては諏訪湖の水が城際まで来ていて、湖上に浮いたように見えたことから「諏訪の浮城」と呼ばれたそうです。

諏訪の浮城を見てきました庭園内には、城の歴史から復元に至る経緯が刻まれた、立派な石碑が建っています。

高島城の主・諏訪氏が治めた二百六十余年間、一度も百姓一揆が起きなかったとあります。

諏訪の浮城を見てきました復元された天守閣の下に建つ、これも立派な「復興碑」には、
「たまたま復興の世論が興り、七千百余人の寄附により約一億円の費用を投じて復興したものである。」
と刻まれています。

天守閣の中は、資料館になっています。
中は撮影禁止になっていましたので、HPでご覧ください。
  ◇高島城 城内のご案内

最上階に展示されていた高島城と城下町のジオラマは、地元の小学生が卒業記念に製作したものだそうですが、最上階から見下ろす現代の町並みとの比較ができる素晴らしいものでした。
高崎も、せめて市役所の21階にこんなのがあったらなぁ、と思いました。

諏訪の浮城を見てきました高島城復元当時の諏訪市長・岩本節治氏の設計によるという庭園の池です。

池の形は、諏訪市が人の心の和によって益々発展するようにとの願いから、「人」という字の形になっているそうです。

写真ではわかり難いかも知れませんので、高島城公園の配置図で見てください。

諏訪の浮城を見てきました復元された高島城は、鉄筋コンクリート造です。

石垣の上もコンクリートで塗り固められていますし、木材を使っているように見える下見板張りもコンクリートに着色したものです。

「なーんだ、コンクリートか。」と言う人もいると聞きましたが、私にはこれで充分、当時復元に関わった人たちの心意気が感じられて、羨ましくて仕方ありません。

「高島城」「高崎城」、文字は一つしか違いませんが、思いは大きな違いがあったようです。

諏訪の浮城を見てきました





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Posted by 迷道院高崎 at 17:56
Comments(8)◆出・たかさき
この記事へのコメント
諏訪の高島城に行かれたのですね。
5月、諏訪方面に出かけたとき寄りましたが、写真掲載をすっかり忘れていました。
その時、庭園の亀石に水を掛けましたが^^、天守閣の資料館の見学はできませんでした。
立派な資料館ですねー、観るべきでした。残念。。。何度見てもお城はいいですねぇ^^。
Posted by 風子  at 2011年11月09日 21:13
こんにちは。
ワタクシも7月に行って参りました。
昔は 三の丸裏門と諏訪湖がつながって
いたそうで、お城から直接 舟でていたそうです。

お城は良いですよネ。
純粋に「ロマン」を感じます、ハイ。 
Posted by はるなのフルーツ  at 2011年11月09日 22:12
>風子さん

前回の信州旅行で、上諏訪まで回ることができなかったので、改めて行ってきました。

「亀石」、水を掛けてきましたよ!
この石も廃藩の時に売り飛ばされちゃったんでしょうか。
平成19年、132年ぶりに城内に戻ってきたって書いてありました。

高崎城のも沢山売りとばしたらしいですが、戻ってきませんねー。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2011年11月10日 08:38
>はるなのフルーツさん

諏訪湖が天然の内堀になってたんですね。

小学生が作ったというジオラマを見ると、城の周りが田んぼになっていて、その外に町があるという、変わった城下町でした。

お城、いいですよねー。
欲しいなー、高崎にも。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2011年11月10日 08:50
高島城ですか~、いきましたよ~。
諏訪湖と、この高島城を向かい側から眺められる高台に橋本政屋(元は料理屋?)というところがあって、そこで演奏会やりました。
諏訪のお殿様が、この橋本政屋に寄っていたそうで、ここから眺める諏訪湖の風景を気に入っていつも来ていたそうです。
昔のまま変わらず残っていて、いまでも使われています。
中にはお殿様の書いた書や使った道具なども当時のままおいてありますよ。
今月も、諏訪の造り酒屋でのライブのお手伝いに行ってきます。諏訪の造り酒はみな蔵のままなのでいいですよ~
Posted by 紫文  at 2011年11月11日 01:46
>紫文師匠

あー、鬼丸さんとの下諏訪「殿様気分」寄席がそうだったんですね!

「橋本政屋」さんをネットで調べてみました。
いいなー、こういうところが残っていて、しかも使っているというのがいいです!

高崎でも、そういうところを発掘していきたいです。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2011年11月11日 09:05
「鬼丸」という文字を見て?!

落語家に鬼丸さんという方が
いることを知りませんでした。
そこで鬼丸さんのHPを
拝見しました。

上山田出身で
「鬼丸」は
初代円生が使った芸名とか・・・
それ以来のようですね。

わたしが関心ある鬼丸源作氏とは
全く関係がありませんでした。
が、
同じ名前と言う縁で
注目していこうと思います。
Posted by いちじん  at 2011年11月11日 16:15
>いちじんさん

そうでしたね、鬼丸源作さんがいましたね!

鬼頭さんとか鬼形さんとかいう苗字もありますから、きっと何か謂れがあるんでしょうね。

地名・人名って面白いですね。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2011年11月11日 19:35
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