2011年05月01日

鎌倉街道探訪記(26)

鎌倉街道探訪記(26)「山名御野立所跡」から山名双葉保育園前を通って下りる道です。

昭和九年(1934)の陸軍特別大演習にあたって、急遽造られた道です。

演習を見渡せる丘の上に野外統監部を設営し、天皇陛下をお迎えするためです。

当時、野外統監部の設営候補地としては、観音山山名の二ヶ所が上がっていましたが、最終的に山名と決まったのは前日のことだったそうです。
そのため県警からの警備手配が遅れ、群衆を規制する綱も張れないまま、天皇陛下をお迎えする事態になってしまいました。

山名駅でお召列車を降りた天皇陛下は、愛馬・白雪にまたがってこの坂道を上っていきましたが、沿道に詰めかけた群衆が手を伸ばせば触れられるほどの近さであったといいます。
演習後、この不手際の責任を感じた駐在巡査が、割腹自殺を図ろうとする事件まで起きてしまう、そんな道だったのです。

鎌倉街道探訪記(26)20mほど坂を下ると、山名八幡宮裏へ抜けられる急坂の細道がありますが、今日はこのまま広い道を下ります。

鎌倉街道探訪記(26)




坂道を下ると、大きな「忠霊塔」が建っています。

昭和十九年(1944)に、日清・日露から大東亜戦争までの戦没者を慰霊するために建てられたもので、裏には陸軍大臣東條英機謹書と刻まれています。

鎌倉街道探訪記(26)忠霊塔の相向かいの坂道を下ると、山名八幡宮の横っちょから境内に入ることができます。鎌倉街道探訪記(26)







神楽殿のガングロ般若が、笑顔で迎えてくれました。

鎌倉街道探訪記(26)本殿の裏には、「裏神様」がいらっしゃいます。
鎌倉街道探訪記(26)






疳の虫を喰い切って下さるとかで、
なるほど丈夫そうな歯をお持ちです。

鎌倉街道探訪記(26)石段の頂上付近に面白いものがあります。
鎌倉街道探訪記(26)







台石には、
「戰利兵器奉納ノ記」
是レ明治三十七八年役戰利品ノ一トシテ我ガ勇武ナル軍人ノ熱血ヲ濺ギ大捷ヲ得タル記念物ナリ・・・
明治四十年三月 陸軍大臣寺内正毅」
と刻まれています。

「明治三十七八年役」とは、日露戦争のことです。
敵軍の砲弾が、大捷(大勝利)の記念となった時代だったのですね。

山名八幡宮は、平和な現代にあっては「安産・子育て」の宮ですが、戦の時代に於いては「武運長久・戦勝祈願」の宮でした。
いつまでも、「安産・子育て」山名八幡宮であってほしいと思います。

(参考図書:「新編高崎市史」「みなみやはたの歩み」)


【今日の散歩道】
鎌倉街道探訪記(26)





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Posted by 迷道院高崎 at 21:31
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