2010年11月11日

鎌倉街道探訪記(5)

久し振りに、鎌倉街道です。

鎌倉街道探訪記(5)「小万地蔵堂」の上の細道、ずーっとこの雰囲気で続いて欲しいところですが、すぐにもう1本北からの道と合流します。
鎌倉街道探訪記(5)この辺りは、まるで毛細血管のように、細い道が入り組んでいます。
道なりに進んで行ってみましょう。
鎌倉街道探訪記(5)同じような丁字路が出現しながら、道は下っていきます。
鎌倉街道探訪記(5)前方の一角を見て、「あれっ?」と思いました。
確か、以前ここにはお堂があったはずなのです。

鎌倉街道探訪記(5)そこには、真新しい石柱が建っていて、「薬師如来御堂跡」と刻まれています。

背面には、「平成二十二年四月二十八日」とあります。

どうやら、今年の四月にお堂は取り壊されたようです。

たしか、以前写真に撮っておいたはずなので、家に戻ってからパソコンの中を引っかき回して見ましたが、どうしても見つかりません。
ブログに使わなかったので、どうやら捨ててしまったようです。

諦めきれずに、翌日、ご近所で聞き回ってみましたら、「区長さんが写真を持ってるかも知れない。」という情報を頂きました。
早速お訪ねしたところ、区長の三芳さんはとても親切な方で、お堂を解体した経緯をお話し頂き、解体の様子を撮った何枚もの写真を見せて下さいました。

鎌倉街道探訪記(5)ありがたいことに、「好きな写真、持ってって下さい。」と仰って頂いたので、お堂の解体供養の時の写真を頂戴してきました。

写真でもお分かり頂けるでしょうが、屋根の瓦は崩れ落ちています。
お堂自体も、手で押すとグラグラする危険な状態だったそうです。

「小万地蔵」と違って、お堂をお守りする人もいなくなった現在、解体するしかなかったと三芳区長さんは仰っていました。
それでも、こうやってきちんと供養し、「薬師如来御堂跡」という石柱を残して頂いたことに、深く敬意を表したいと思います。

鎌倉街道探訪記(5)「無縁(?)佛供養塔」には「薬師堂宇改築 昭和十四年十一月」と刻まれていますので、少なくともこの頃までは、地域にお堂をお守りしてる方がいたようです。
鎌倉街道探訪記(5)
このお堂がいつ頃建てられたものか、資料は一切残っていないようですが、「月山 湯殿山 羽黒山」と刻まれた石仏には、江戸時代中期の宝暦五年(1755)の文字が見えます。

鎌倉街道探訪記(5)「薬師如来御堂跡」前の道をさらに下ると、角に道祖神の建つ四つ辻に出ます。
真っ直ぐ進めば国道下、右は「小万坂」へ戻る道です。
鎌倉街道探訪記(5)道祖神には、「文政己卯仲夏」とあるので、文政二年(1819)のものです。

江戸時代も後期に入った頃ですね。

鎌倉街道探訪記(5)道祖神の四つ辻を左に進むと、城南球場に至ります。

この辺に鎌倉道が通っていたとすると、烏川の河原の中だったでしょう。

大雨で川の水位が上がった時は、通行できなかったに違いありません。


そんな時、旅人は竜見町の崖上を通ったようです。
次回は、その道を辿ってみることに致しましょう。


【今日の散歩道】




鎌倉街道探訪記(5)



同じカテゴリー(鎌倉街道)の記事画像
いざ!歴民 鎌倉街道へ!
鎌倉街道探訪記 おまけのおまけ
鎌倉街道探訪記のおまけ
鎌倉街道探訪記(36)
鎌倉街道探訪記(35)
鎌倉街道探訪記(34)
同じカテゴリー(鎌倉街道)の記事
 いざ!歴民 鎌倉街道へ! (2012-03-21 08:04)
 鎌倉街道探訪記 おまけのおまけ (2011-09-17 07:36)
 鎌倉街道探訪記のおまけ (2011-09-10 09:12)
 鎌倉街道探訪記(36) (2011-09-04 12:13)
 鎌倉街道探訪記(35) (2011-08-20 09:00)
 鎌倉街道探訪記(34) (2011-07-02 06:51)

Posted by 迷道院高崎 at 09:36
Comments(4)鎌倉街道
この記事へのコメント
おっ久々の迷道院様の「街道シリーズ」楽しみです。「鎌倉街道」っていざ鎌倉!関東武士の心意気!っていうあれですか?
小生も散歩の道すがら路傍の道祖神、石仏を見るとつい年号を確認してしまうという性がありますが、お堂解体、何か悲しい感じがしますね。
「三国街道シリーズ」ずいぶん勉強させて頂きました。「鎌倉街道」期待してます!
Posted by 柏木沢の農家おじさん  at 2010年11月12日 05:22
>柏木沢の農家おじさん様

はい、その鎌倉街道です。
何せ古い道なので、消えてしまっているところが多く、ウロウロしてます(^^)

お寺持ちになっているお堂はいいのですが、地域で守っていたものは、お年寄りがいなくなるにつれ、荒れてしまうんですね。

寂しいことですが・・・。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年11月12日 08:26
薬師如来堂が取り壊されていて、がっかりでしたね。でも、石柱を残して頂いてあり、写真も入手されて何よりでした。
私も近所を散歩していて、偶然、由緒ある設備を取り壊している場面に遭遇したことがあります。事情があって仕方のないことでしょうが、残念ですね。
しかし、鎌倉街道といっても道路は舗装され、昔の面影を追い求めることは非常に難しいと思うのですが、迷道院さんの探究心に拍手!です。ますます、よき出会いに恵まれますように・・・^^。
Posted by 風子  at 2010年11月13日 16:33
>風子さん

標柱を残して頂いただけでも、感謝しなければいけないと思います。

高崎には、それすらない史跡が沢山ありますから。
それこそ、残念です。

鎌倉街道は、またダラダラ長いシリーズものになりそうです。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年11月13日 19:04
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
鎌倉街道探訪記(5)
    コメント(4)