2010年07月28日

気になる一角

気になる一角田町を通りかかる度に、気になっている一角があります。

天保年間(1830~43)創業の老舗、旧・天田屋漆器店の跡地です。

平成18年(2006)に榛東村に移転しましたが、幸いラジオ高崎が、移転前の姿をビデオに残してくれていました。→「店舗訪問 天田安平商店」

移転先の榛東村では、「うるし工房 木地呂」として桐タンスや無垢家具の修理、漆器の修理、陶磁器の金つぎ、うるし塗教室などの活動を行っています。

今、気になる一角天田屋跡は、道に面した店舗部分が取り壊され、明治期に造られたという、奥の土蔵が見える状態になっています。

あー、また伝統的建物がひとつ失われるのか、と心配されたかと思いますが、今、この土蔵を利用して「すもの食堂」プロジェクトというのが進行中なのです。

なぜ「すもの」かというのは、群馬県人なら、ピンと来るかも知れませんね。
ここは敢えて、クイズということにしておきましょう。

このプロジェクトを推進しているのは、「高崎CIP」(Community talent Incubation Project )のメンバーです。
例の、中山道恋文横丁を仕掛けたのも、このメンバーの方々です。
一般市民には、「高崎CIP」の活動を知る機会があまり設けられてないのですが、*ここ*を見ると少し垣間見ることができるかも知れません。
もっと、一般市民を巻き込む活動になって欲しいなぁと思います。

「高崎CIP」によると、
「すもの食堂」は、上州一円のこだわり野菜を作っているネットワークを利用した、産直・惣菜・軽食を提供する場として、考えているそうです。
行く行くは、中山道から珍竹林画廊裏にあった旧・高崎絹市場まで、一本の道で繫がるように造作する予定だとか。

田町から高崎城下町が再生してきそうな、そんな予感がしてきました。
楽しみです。





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Posted by 迷道院高崎 at 05:42
Comments(10)高崎町なか
この記事へのコメント
高崎のモノづくり・・・・・

まあ、僕の祖母の弟が家具職人で高崎では成功した口かな。
多くの職人を抱え、そうした職人を独立させ下職に・・・・・
僕の父の義弟もその祖母の弟のところで奉公して職人として独立、その生涯でした。
大正末期から、昭和戦前戦中戦後のお話。
詳らかではありませんが、天田屋さんもそんな当時の「勝ち組」だったのではと。

まあ、迷道院さんもご案内の藤巻君のお父さんもそんな職人さんでした。僕の家も、その家具工場の材木置き場を戦後父が譲り受けたものでした。

まあ、家具でいえば全国チェーンの「家具の宝船」(赤坂町)、大川家具(九蔵町)、そして地場老舗、「オノヤ家具」なんてえのもありましたけど・・・・
昭和60年前後に消滅しました。

今や、ニトリの一人勝ち、MADE IN CHINA ですけど(笑)。

その意味では高崎は城下町であるとともに職人の町でもあったわけです。
僕の高砂町なんて、いわゆる「職人街」の趣でしたから。

家具、建具、竹材具、表具、宮大工、紺屋、鍛冶屋、大工・・・・・
失職するわけです。そうした職場が消滅しちゃったわけですから。

高崎城再建・・・・・

まあ、確実に70年後には現庁舎は解体されるはずです。
70年後に莫大な費用をかけて解体するくらいなら、今のうちにスクラップアンドビルドです(笑)。
特権階層の現世利益か1000年ロマンか・・・・・
まあ、立派な公共事業です。全国津々浦々、お城再建は不況対策かも。
JRの社長が「リニアはおもちゃ」だと言い切りましたね・・・・・
つまり使い物にならないということです。ソレに数兆円、十数兆円つぎ込む公共事業。

景気対策にも、雇用対策にもなってませんね。
Posted by 昭和24歳昭和24歳  at 2010年07月28日 15:49
>昭和24歳さん

そう、高崎は城下町で職人町なんですよね。

町の風情は見事に壊してしまいましたが、井伊直政築城以来の職人町の町名が、まだ残ってます。
この宝を活かさない手はありませんよね。

そして、世はまさに手づくり時代。
若者も、奥様方も、定年世代も、みな手作りをしたがっています。

昭和24歳さん、手作りギター教室なんてのは、いかがでやんしょ(^^)
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年07月28日 20:01
確かに動画を見ていたら土蔵の入り口があって、あらッ!と思ったのですが、利用されるようでよかったですね。
先日も歴史巡りのイベントをやっているのかどうか、市の観光課に訊ねてみたのですが・・・それらしいことは予定なし、ほとんど興味なさそうでした。我が町にも、“街元気リーダー”が欲しい!です。
榛東村は時々通るのですが、うるし塗りの教室があるなんて、ステキですね。
ところで「すもの」って、ナンザンショ?例の番付けにもなかったですねー^^。
Posted by 風子  at 2010年07月28日 21:40
>風子さん

風子さんだけに、内緒で。
「す・も・の」って、上毛カルタの役札なんですよ。

す:すそ野は長し赤城山
も:もみじに映える妙義山
の:登る榛名のキャンプ村

ということで、上毛三山なんですね。

たぶん、上毛三山に代表される、上州一円のこだわり野菜を提供するというコンセプトなんじゃないかと思っています。

ところで、安中市の観光課は興味なさそうでしたか?
風子さんのブログを見てもらうように仕掛けてみてください。
きっと興味を持ってくれるようになると思いますよ(^_^)v
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年07月28日 22:01
>手作りギター教室なんてのは、いかがでやんしょ(^^)

だいぶ昔ですけど、平成8年です・・・・・

渋谷のハンズで「手作りウクレレ教室」をやりましたけど・・・・・
誰も作れませんでした(笑)。

まあ、形にはなりましたけど。
Posted by 昭和24歳昭和24歳  at 2010年07月29日 18:08
そーだったんですかー。「すもの食堂」迷道院様のクイズ、ふとんの中でも考えてました。
上毛かるたの読み札だったとは。
小生も小生の子供達も冬になると子供会で上毛かるたの練習をしたものです。
群馬県民の必須条件は読み札全部諳んじている事ですよね。
でも小生は「力を合わせる160万」子供達は「力を合わせる200万」なんですよねー。
時代の流れを感じます。
うるし工房 木地呂、小生の家の近所なので今度、お散歩の時寄ってみます。
Posted by 柏木沢の農家おじさん  at 2010年07月29日 19:47
>昭和24歳さん

誰も作れませんでしたか(^^)
そこを何とか・・・、プラモデル感覚で、という訳には参りませんか・・・。

どの町でやるのがいいんでしょうね。
曲げ物師が住んでた、桧物町かな?
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年07月29日 20:03
>柏木沢の農家おじさん様

そーだったんですよー。
他にも、「つちけ」とか「おかめきけ」なんていう役札もありましたよね。

あ、風子さんのために。

「群馬県と県庁所在地」
つ:鶴舞う形の群馬県
ち:力合わせる160万(初版)
け:県都前橋糸の町

「旧五市」
お:太田金山子育て呑龍
か:関東と信越つなぐ高崎市
め:銘仙織り出す伊勢崎市
き:桐生は日本の機どころ
け:県都前橋糸の町

時代の流れによって読み札が変わっていくというのも、珍しいカルタですよね。
160万から200万まで、45年かかってます。
この先、どうなるんでしょうね?
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年07月29日 20:23
>プラモデル感覚で、という訳には参りませんか・・・。

っていうかエレキギターなら誰でも作れますけど(笑)。

キットもあるし、+ドライバー一本あれば、プラモ感覚で・・・・・

あっ、+ドライバー大中小必要かな?
Posted by 昭和24歳昭和24歳  at 2010年07月29日 20:36
>昭和24歳さん

それでいきましょう!

ただ、それだけじゃ詰りません。
職人町高崎ですから、漆塗りとか、象嵌を細工するってのはどうでしょう。

これは、白銀町かな?
それとも、鞘町かな?
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年07月29日 20:49
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