「油麩」(あぶらふ)って、ご存知でしょうか?
実は私、かれこれ10年ほど前に東京へ行った時、たまたま寄った宮城県アンテナショップで、「油麩」を買ってきたことがあります。
それがとても美味しかったので、その後、高崎の百貨店で「東北の美味いもの展」などがある度に、行って「油麩」を探すのですが、置いてありませんでした。
それどころか、売り子の人が「油麩」を知らなかった位です。
それが、みのもんたの「秘密のケンミンSHOW」で、「油麩丼」が紹介されてから、けっこう有名になったようで、近頃は、この辺のスーパーでも「油麩」が手に入るようになりました。
その「油麩」を特産とする、宮城県登米市(とめし)登米町(とよままち)について調べてみると、なかなか面白い所だということが分かってきました。
そもそも、同じ「登米」という字を書いて、市名は「とめ」、町名は「とよま」と読ませていることだけでも、興味津々です。
その辺りの話は、(株)とよま振興公社のHPでご覧ください。
初めて訪れた登米町は、雨でした。
とよま観光物産センター「遠山之里」(とおやまのさと)のすぐ隣に、明治二十一年(1888)建設の「旧登米高等尋常小学校」校舎が、「教育資料館」として現存しています。
煉瓦造りの校門を入ると、コの字型の木造・瓦葺き校舎が姿を現します。
その懐かしい佇まいに、思わず息を飲みました。
よくぞ残した!と、心から拍手を送りたい気持ちです。
校舎の傍らには、つるべ井戸も残っています。
この井戸は、校舎が出来る前からここにあったものだそうです。
学校が出来てからは、子どもたちの水汲みや足洗い場として、昭和四十八年(1973)まで使われていたといいます。
ということは、この校舎は学校として、その時まで使われていたということなんです!
登米町の文化的精神の高さに驚きながら、学校前の小路へ入りました。
春の遅い登米の町は、ちょうど八重桜が満開でした。
風に散った花びらが、濡れた路面に貼りついて美しく・・・。
と思ったら、ちがうんです、これが!
まるで道に散った花びらのように、道路に白い石が埋め込まれていたのです。
何とまぁ、洒落た舗装じゃありませんか!
雨の日に訪問したことを、嬉しく思える一瞬でした。
さらに素晴らしいのは、歴史的建造物がただ残っているだけでなく、今も、何らかの形で利用されているということです。
高崎にも、歴史的建造物は僅かながらもまだ残っていますが、その殆どは非公開であり、中を見ることができません。
そのまま、朽ちるに任せているものすらあります。
この違いは、一体どこから生じるものなのでしょう。
登米の町を歩いている内に、何となくその違いが見えてきたような気がするのです。
町づくりのヒントとも思えることが、登米の町にはありました。
それは、城下町高崎の街並みを再生するヒントであるかも知れません。
次回、もう少し登米の町を紹介しながら、そのお話をしたいと思います。
実は私、かれこれ10年ほど前に東京へ行った時、たまたま寄った宮城県アンテナショップで、「油麩」を買ってきたことがあります。
それがとても美味しかったので、その後、高崎の百貨店で「東北の美味いもの展」などがある度に、行って「油麩」を探すのですが、置いてありませんでした。
それどころか、売り子の人が「油麩」を知らなかった位です。
それが、みのもんたの「秘密のケンミンSHOW」で、「油麩丼」が紹介されてから、けっこう有名になったようで、近頃は、この辺のスーパーでも「油麩」が手に入るようになりました。
その「油麩」を特産とする、宮城県登米市(とめし)登米町(とよままち)について調べてみると、なかなか面白い所だということが分かってきました。
そもそも、同じ「登米」という字を書いて、市名は「とめ」、町名は「とよま」と読ませていることだけでも、興味津々です。
その辺りの話は、(株)とよま振興公社のHPでご覧ください。
初めて訪れた登米町は、雨でした。
とよま観光物産センター「遠山之里」(とおやまのさと)のすぐ隣に、明治二十一年(1888)建設の「旧登米高等尋常小学校」校舎が、「教育資料館」として現存しています。
煉瓦造りの校門を入ると、コの字型の木造・瓦葺き校舎が姿を現します。
その懐かしい佇まいに、思わず息を飲みました。
↓どうぞ、拡大(クリック)してご覧ください。
よくぞ残した!と、心から拍手を送りたい気持ちです。
校舎の傍らには、つるべ井戸も残っています。
この井戸は、校舎が出来る前からここにあったものだそうです。
学校が出来てからは、子どもたちの水汲みや足洗い場として、昭和四十八年(1973)まで使われていたといいます。
ということは、この校舎は学校として、その時まで使われていたということなんです!
登米町の文化的精神の高さに驚きながら、学校前の小路へ入りました。
春の遅い登米の町は、ちょうど八重桜が満開でした。
風に散った花びらが、濡れた路面に貼りついて美しく・・・。
と思ったら、ちがうんです、これが!
まるで道に散った花びらのように、道路に白い石が埋め込まれていたのです。
何とまぁ、洒落た舗装じゃありませんか!
雨の日に訪問したことを、嬉しく思える一瞬でした。
登米町には、素晴らしい歴史的建造物が、沢山残されています。
旧・水澤縣廰舎 明治5年(1872)築 現・記念館 | 旧・武家屋敷 築400年以上 現・茶屋「春蘭亭」 | 旧・登米警察署 明治22年(1889)築 現・警察資料館 |
さらに素晴らしいのは、歴史的建造物がただ残っているだけでなく、今も、何らかの形で利用されているということです。
高崎にも、歴史的建造物は僅かながらもまだ残っていますが、その殆どは非公開であり、中を見ることができません。
そのまま、朽ちるに任せているものすらあります。
この違いは、一体どこから生じるものなのでしょう。
登米の町を歩いている内に、何となくその違いが見えてきたような気がするのです。
町づくりのヒントとも思えることが、登米の町にはありました。
それは、城下町高崎の街並みを再生するヒントであるかも知れません。
次回、もう少し登米の町を紹介しながら、そのお話をしたいと思います。
【登米町・旧登米高等尋常小学校】