2022年09月03日

高崎唱歌散歩-5番 ♪春は藤波秋は月・・・

春は藤波秋は月
眺めもさえて烏川
橋を渡りて観音山
四時の散策此の処

「春は藤波」は、馬場若水の「藤花園」のことでしょう。
そこから烏川の眺めを愛でながら、橋を渡って「観音山」へという訳です。
「橋」はもちろん「聖石橋」

大正時代の写真だそうです。

まだ木橋ですね。
「聖石橋」の変遷については、過去記事でご覧ください。

木橋の維持管理はたしかに大変だったようで、明治四十五年(1912)にも架け替えが行われています。


昭和六年(1931)にコンクリート橋に架け替えられるのですが、コンクリート橋と木橋の二つの「聖石橋」が並んで写ってる珍しい写真があります。

風情という点では、木橋の方がいいなぁ。

その後、昭和二十六年(1951)には烏川河畔に国道10号線(現18号線)が開通し、昭和四十三年(1968)と四十五年(1970)に橋の左右に歩道が設けられ、平成十九年(2007)に全面拡幅されて今の姿になりました。


そして「観音山」ですが、「高崎唱歌」の頃にはまだ「白衣大観音」はありません。
「白衣大観音」が建立されるのは昭和十一年(1936)、そのずっとずっと前から「観音山」だったのです。

「清水寺」の本堂は山の麓にあり、本尊の千手観音を祀る「観音堂」が山上にあったので、人々はその山を「観音山」と呼んだのです。

因みに「高崎唱歌」の当時、「観音山」髙崎市ではなく隣の片岡村でした。


でも、高崎市民には「四時の散策此の処」だったんでしょうね。
そうそう、「四時」は時刻ではなく「四季」のことです。
今も昔も、四季折々楽しめる高崎市民憩いの山です。
もっともっと活かしていきたいものです。


  


Posted by 迷道院高崎at 06:00
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