2020年10月04日

史跡看板散歩-208 下里見町仲通りの道祖神

国道406号の下里見交差点のすぐ北、里見川のほとりに「仲通りの道祖神」というのが建っています。




後ろは「富久樹園」の駐車場です。


大きなトチノキが、たわわに実を付けていました。


何となく物足らない思いで下里見交差点に戻ると、「ぴんころ地蔵尊」という看板が目に入ったので、行ってみました。


急な坂道を150mほど上ると「城山稲荷」という大きな鳥居があり、その先にも小さな鳥居が並んでいます。


並んでいる鳥居を潜って・・・、

さらに石段を上ると「城山稲荷」の社殿があり、その左にあるのが「ぴんころ地蔵尊」のようです。



「ぴんころ地蔵尊」の説明板を見て、「城山稲荷」という名前の由来も分かりました。
「里見城」の鬼門除けだったんですね。

それから、思い出しました、昭和四十九年(1974)の土砂崩落災害。
死者6人を出すという大災害でした。


台風が来た訳でも、雨が降り続いた訳でもない、カラリと晴れ渡った10月6日(日)の朝7時半ごろの出来事でした。
一ヶ月ほど前から、山肌から水が滲み出ていたが、崩落直前はその量が多かったといいます。

崩落現場の上には、剣崎・若田浄水場への市上水道の導水管が埋設されていました。
その導水管の他にも、榛名町の石綿製配水管も埋設されており、山頂には配水槽も設置されていました。
いずれかの設備からの漏水が、斜面の土砂を緩めて崩落させたものと思われます。

その時、奇跡的に崩落を免れたという「奥の院」は、一段高い所に祀られています。



崩落した斜面は、現在コンクリートで補強されています。


その上に社殿を再建したが、その後、再度の土砂災害があったとあります。

しかし奇跡的に崩落を免れ、「落ちない稲荷」という新たな御神徳が加わったというのですから、ま、よかったですね。

「ぴんころ地蔵尊」も、コロナ除けの御神徳を加えて「ぴんコロナ地蔵尊」と呼ぶのはどんなもんでしょう。


【仲通りの道祖神】

【ぴんころ地蔵尊】