2009年03月28日

畳の縁が踏めない

子どもの頃に染みついた習性は、なかなか抜けることがない。

いまだに、の上を歩く時は、(へり)を踏まないように体が動く。
たぶん小さい頃に、親か誰かに言われたことがその一瞬、蘇るのだろう。

同じように、引き戸を閉める時は、隙間なくピシッと閉めないと気持ちが悪い。
子どもの頃、よそのおじさんにこう言われたからだ。

「○○坊、戸はきちんと閉めな。『馬鹿の三寸、間抜けの五寸、大馬鹿野郎の開けっ放し』って言うんだぜ。」

貧乏性も、いつの間にか習い性となってしまった。
無駄遣いをすると、気持ちが悪いのである。
定額給付金については、「どうします?」で書いたとおりだが、今日から実施された高速料金値下げの話も、どうにも気持ち悪くて仕方がない。

世界中で地球温暖化防止に取り組んでいる中、なぜ自動車で遊びに行くことを奨励するのだろう?
業績悪化で苦しんでいる運送業の人たちを対象にするなら、まだわかる。
ハイブリッドカーのような、省エネ車を対象にするなら、それもわかる。

高速料金値下げの条件はETCを付けていることだという。
だが、ETCの取付や運用にまつわる諸々の金が、天下り団体の懐に入るというではないか。
それらの金は、ほとんど全て無駄遣いされてしまうのだろう。

ETC購入助成金や、高速料金値下げ分は、すべて税金で補うことになる。
何のことはない、車に乗る人も乗らない人も、みんな税金の無駄遣いに加担させられている訳である。
「この国の形を変える」ということには、いっさい貢献しない。

畳の縁を踏めない私には、どうしても、どうしても・・・、
定額給付金を無駄遣いする気にはなれないのである。
要らなくなるかもしれないETCを買い、土日を選んでガソリンを撒き散らしてまで、政府の「無駄遣い奨励策」に加担する気にはなれないのである。

子どもの頃、高崎の町にも進駐軍のジープが走っていた。
子どもたちがジープの後を追うと、白人と黒人の兵士が、ポケットから小銭を出して投げ与える。
子どもたちは、争って拾っている。
兵士たちは、笑い声をあげながらそれを見ている。
5歳であったが、貧乏であったが、なぜか、拾う気にはなれなかった。

そんなことを思い出させる、定額給付金と高速料金値下げ騒ぎである。  


Posted by 迷道院高崎at 18:57
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2009年03月26日

捨てたもんじゃない!

「ぐんま派遣村」のお手伝いに行ってきました。
出がけに恐妻が言いました。
「派遣切りされた人と間違えられそうね。」
・・・そんな、いでたちだったようです。

派遣村の様子は事務局の正式発表に譲ることとして、私がお手伝いで感じたことをお話ししたいと思います。

私は2人のボランティアの方と一緒に、県庁前交差点で、ビラ配りをすることになりました。

交差点の角に立っていると、道行く人は、私たちを避けるようにして歩いていきます。
ビラを受け取る方もいれば、手を振って要らないという意思表示をする方もいます。

一計を案じ、本部へ戻ってポスターを使って即席の看板をつくり、募金箱も用意しました。
立つ場所も、信号機の手前に変更しました。

赤信号で、私たちの前に車が止まります。
多くの人は、私たちと目を合わさないようにしています。
そうですよね・・・。わかります、その気持ち。

中には、じっと看板に書いていることを読もうとしている人もいます。
そんな人は、ビラを差し出すと受け取ってくれます。

そんな繰り返しをしている内、一台の車の窓が開いて、男性ドライバーが千円札をヒラヒラさせています。
嬉しかったです!!

その後も、遥か後方の車から、妙齢の女性が手を振って呼んでいます。
「がんばってね!」と、500円を寄付してくれました。
嬉しいじゃないですか!!

グリーンドーム行きの競輪場シャトルバスのドアがいきなり開きました。
運転手さんが「がんばってよ!俺も同類項だから。」と、50円玉を入れてくれました。

後部座席に社長さんと思しき人を乗せた、黒塗りの乗用車が止まりました。
窓が開いて、中から「少ないけど・・・」と十万円ぐらいの札束を、

・・・くれるかなと思ったら、そのまま行ってしまいました。

でも、世の中、捨てたもんじゃありません!
その後も、「ごくろうさま!がんばってね!」と声をかけてくれたり、
後ろから、黙ってチャリーンとお金を入れてくれる人も出てきました。

昨日の雨が、山では雪になったようです。
バベルの塔のような県庁のビル風は、冷たく吹き荒んでいましたが、何だか少しは温かい心を感じられたように思います。
世の中、捨てたもんじゃありません!
  


Posted by 迷道院高崎at 17:47
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2009年03月25日

きましたよ!

きましたよ!「定額給付金申請書」

高崎市は、給付金支給は全て「口座振込方式」です。
口座のない人や、口座を作れない人はどうするのかと思ったら、代理人の口座でもいいようです。

だけど、代理人は申請書に打ち出されている「世帯員」でないとダメなんだそうです。
「やっぱりダメじゃん!」って人が出そうですね。


でもQ&Aには、「口座が設けられない場合は、高崎市定額給付金本部までご相談ください。」と書いてありますから、何とかなるみたいです。

問題は、2月1日現在に住民基本台帳に登録されていない人です。
この人たちは、受給できないと明記されてます。
でも、本当に支給してあげなければいけない人は、その人たちの中にいるのではないでしょうか。
大いなる矛盾ですね。

申請書には、極々小さな字でこんなことが書いてありました。
「市が、下記に記載された受取口座に振込手続後、記載間違い等の事由により振込が完了せず、かつ、9月18日までに、市が申請・受給者(代理人を含みます。)に連絡・確認できない場合には、市は当該申請が取下げられたものとみなします。」
読めないでしょう?
こう書いてあるのです。
「市が、下記に記載された受取口座に振込手続後、記載間違い等の事由により振込が完了せず、かつ、9月18日までに、市が申請・受給者(代理人を含みます。)に連絡・確認できない場合には、市は当該申請が取下げられたものとみなします。」

記載間違いしただけで、申請が取下げられたことにされちゃう可能性があるんですよ。
そんな大事なことを、高齢者は虫眼鏡でないと読めないような、ちっちゃな字で書くんです。
不親切ですね。

その反面、次のことは大きな字で、はっきり書いてありました。
「給付を辞退する場合は、○印で囲んでください。」

みなさん、絶対に辞退はしないでください!
また、国に無駄遣いされるだけです!
辞退するくらいなら、「米百俵コンサート」においで下さい!!


とりあえず、明日は「ぐんま派遣村」にお手伝いに行ってきます。
天気、良くなるといいな。

「ぐんま派遣村」最新ニュース  


Posted by 迷道院高崎at 19:18
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2009年03月21日

上州の「米百俵」

伊勢崎市赤堀町の公民館近くに、「米百俵之碑」というのが建っている。

小泉元総理の所信表明演説で一躍有名になった「米百俵」だが、もともと明治維新前後の越後長岡藩の話である。

それが、なぜ赤堀町に?という答えは、碑文に書いてある。
「百俵の米も、食えば忽ち無くなるが、教育にあてれば明日の一万、百万俵となる」という有名な言葉を残した小林虎三郎が、実は上州赤堀城主の末裔であったという。
上州「米百俵」のルーツであったのだ。

「米百俵」の詳しい話は長岡市のHPをご覧頂くとしよう。

今、「ぐんま派遣村」に奇特な方々から沢山の「米」が届けられているという。
◆前橋市内の農家で60歳の柴田さんは、「何かしたい」と軽トラで米30kgを事務局まで持参。
◆年金暮らしの90歳の女性から、米10kgを届けるという電話。
◆太田の「株式会社わびすけ」から、商品の「冷凍赤飯」150食を届けるという電話。
◆前橋の「アジアパン」からパンの提供。
◆3月19日現在、373,399円の募金。
◆同日現在、52人のボランティア登録者。

「ぐんま派遣村」の目標は、募金百万円、ボランティア百人だそうである。
まさに、上州の「米百俵」

及ばずながら迷道院、今日、少しだけパトロールのお手伝いをさせて頂いた。
高崎市内のスーパー、コンビニ、図書館、公園、駅前を回ってビラやチラシを置いてもらったり、ベンチに寝ていたりする人に声掛けをした。
不思議なほど「派遣村」に対する質問も反発もなく、認知度の高さを実感したのだが、それが逆に世の中の深刻さを表しているようにも思う。

今日、人間嫌いの迷道院高崎にしては、記録的な数の人とお会いした。
さくらアロマテラピースクールさんで催された、昭和24歳さんのコンサートにも行ってしまった。(?)
そこにはグンブロガーの皆さんが・・・、くみちょうさん、ひまわりさん、mitukuniさん、サチさん・・・お名前落ちてる人がいたらごめんなさい。人間嫌いなもんで名前覚えられないんです・・・。

そうだ、定額給付金のチャリティコンサートの名前、「米百俵コンサート」ってしちゃおうかな?
「一万二千円を食ってしまえば忽ち無くなるが、
  集めて使えば明日の百万、いや二兆円になる!」
  


Posted by 迷道院高崎at 22:59
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2009年03月13日

給付金情報

高崎市「定額給付金」も、手続きの方法と日程が決まったようである。
申請書3月17日(火)から順次、各世帯主宛てに送付されるそうだ。

申請の受付期間は、3月23日(月)から9月18日(金)まで


給付はすべて口座振込方式で、申請後1~2カ月ほどかかるらしい。
詳しくは、市HPの「定額給付金に関する情報」をどうぞ。


何でも、高崎市の給付金総額は
53億円になるというが、これに振込手数料や事務経費を加えると一体幾らぐらいになるのだろう。
高崎市では寄付についての呼びかけはしないという。


ところで、今日、グンブロガーの昭和24歳さんとお会いした。
こわい人なのかなぁ?と思っていたら、すごく優しい人だったので驚いた。
それどころか、中学校の同期生だったことが分かって、もっと驚いた。

だが、お互いに顔に見覚えがないみたいで・・・。
昭和24歳さんが1組、私が10組で、教室が端と端だったせいもあるのかも知れない。(当時は50人学級で、10クラスもあったのである。)
しかし、話をしている内に、知っている学友や先生の名前がポンポン出てきて、すっかり盛り上がってしまった。

それにしても、昭和24歳さんの記憶力は驚異的である!
また、その記憶が、立板に水の如く滑らかに出てくるのも驚きだ。
私の記憶は、洗濯板に鳥モチの如くであった。

昔話に花が咲き、本題の「定額給付金コンサート」の話は、別れ際にちょこっとという感じだったが、実現の方向で進んでいきそうだ。
近い内に、もう一度お会いして、他に力をお貸しいただける人にも声をかけることにした。

グンブロで知り合い、それが中学の同期生だったことが分かり、しかも、力を貸していただけることになるなんて・・・。
不思議で、不思議で仕方がない。
人知を超えた、何かの力が働いているような気がして仕方がない。
有難きかな、有難きかな。  


Posted by 迷道院高崎at 22:42
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2009年03月05日

どうします?

どうします? 「低額給付金」
決まっちゃいましたよ。

上毛新聞社は4日、群馬県民50人に給付金の使い道について緊急アンケートを行ったという。

結果は、
「消費に回す」 39人(78%)
「貯蓄に回す」  4人( 8%)
「決めてない」  7人(14%)

だそうである。

ついこの間まで、
「もっと、雇用や社会保障のために使うべきだ!」という意見が、8割近く占めていたような気がするのだが・・・。

もっとも、その上で「くれるなら、使う。」という意見が多かったことも事実であるから、それを非難するつもりはない。

ただ、世間が何となく「うれしい!早くくれよ!」という空気になってきたのには、どうしても違和感を覚えるのである。

以前、子どもの頃の極貧時代のことを記事に書いたことがある。
  ◆「あの頃みんな(?)貧乏だった」
  ◆「人情ラーメン物語」
あの時、いろいろな人たちに助けられて、今がある。

おかげさまで今1万2千円を頂かなくても、何とか生活が送れるようになっている。
今度は、私が世間様にご恩返しをする番だと思っている。
きっと今、あの頃の私と同じような思いで暮らしている人がいるはずだ。
濡れ手に粟の1万2千円をもらって、ぬくぬくと自分の飲み食いや買い物に使う気には、どうしてもなれないのである。

とは言え、たった1万2千円で何ができる?
だが、「箸よく盤水を廻す」(はし よく ばんすいを まわす)という言葉がある。
「一本の箸が最後には盥(たらい)の水全体を廻すようになる」という意味だ。

高崎市の人口は、約34万人
1%の人が寄付をしたら、4080万円
2%だったら、8160万円
3%なら、1億2千2百40万円

・・・今、どこへ寄付をしようか考えている。
  


Posted by 迷道院高崎at 20:29
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2009年01月09日

自ら知る者は人を怨まず

高崎の生活情報誌「JOMO TAKATAI」に載っていた「今日の言葉」である。

中国の儒者、荀子(じゅんし)の言葉だそうだ。
コラムニストの秋庭道博氏の連載コーナーであるが、いつも勉強になっている。
少し、転載させて頂こう。

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この世では、誰もが、みんなからよく知られている訳ではない。
だから、自分の名字の読み方を間違える人がいるのも当然なのだ。
それなのに、「間違えた読み方をするなんて失礼なやつだ」などと不機嫌になる人がいる。
「どんなお仕事ですか」というような問いにも、「そんなことも知らないのか」と、軽蔑したような態度を示すエライ人もいる。
(中略)
「自らを知る」とは、「この世は自分を中心に回っていない」と認識することでもある。


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奇しくも、その日の「読者の声」欄には、その言葉を実践するような、こんな投稿が載っていた。
全文をご紹介しよう。

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「思いやりを大切に」

私は今40歳。多忙な日々を過ごしている。
今までの私は、本当に心狭い、角ばった性格の持ち主であったように思う。
ちょっとしたことで苦情を言う「クレーマー」だったり、人の行為を素直に受けられなかったり。今の生活に感謝の気持ちを忘れてたり。
私は最近、そんな自分を反省することがある。
ちょっとしたことも人のせいにしたり、忙しいせいにしたり、自分の責任と思ったことがなかった。

夕食の買い物に出かけても周りを見ずに、さっさと買い物を済ませる時間との闘いだった。

でも、ついこの間、仕事の帰りにスーパーへ寄ったときのこと。
私は偶然に周りを見た。忙しそうにしている主婦たちがたくさんいて、お母さんにお菓子をねだる子供たちも見えた。

その時、車いすの男性が牛乳を取ろうとしていた。
一生懸命手を伸ばし、牛乳を取ろうとしているが、牛乳の一部にしか手が届かない。周りの牛乳が倒れている。
私にはそんな姿が見えた。じっとしていられなかった。
男性のそばに行き「この牛乳でいいですか」と言って1本取って渡した。

倒れた牛乳を直していると「ありがとう」「親切にしてくれてありがとう」と言ってくれた。
私はすごく嬉しかった。今までは1分も無駄にできない時間との闘いだったが、その日の私は「ありがとう」の言葉と笑顔に、何時間も得した気がした。

これからは広い心で周りを見れば、今よりも楽しいはず。
人に優しい気持ちを大切にし、日々感謝の気持ちで生きていきたい。
少しづつ角が削れて、まん丸な人間になれるのをいつか心待ちにしたい。

(沖町 匿名希望さん)

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投稿者は、ご自身で言うような「心狭い」人では、決してないと思う。
ちょっとした日常の出来事を、これだけ大きく、広くとらえる心の持ち主なのだから。
そして、投稿して頂いたことで、さらに多くの人の気持ちを変えてくれるかも知れないのだから。

そんな匿名希望さんに、感謝!
そして、匿名希望さんに投稿するきっかけを与えてくれた、
車いすの男性に、感謝!

さらに、「ありがとう」という素晴らしい日本語に、感謝!
  


Posted by 迷道院高崎at 12:22
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2008年12月30日

「嘆」

2008年も残りあと2日。
今年の「世相漢字」は変化の「変」だと発表されたが、私は嘆きの「嘆」だと思う。

政治しかり、公的機関しかり、経営者しかり、・・・実に嘆かわしいことの多い年であった。
来年こそが、良い意味での「変」の年であってほしい。

来年は遅かれ早かれ衆議院選挙となる。
今度こそ、間違いなく民意を一票に込めたいところだが、2大政党と言われながら、どちらも民の方に顔が向いてなさそうで、心もとない。
TVでこの一年の政治を振り返っているのを見ながら、ふと思った。
そもそも、選挙で個人名や政党名しか選べないのが問題なのではないかと。

郵政選挙では自民党圧勝、次の参院選では民主党圧勝。その結果、真面目にきちんと議論をすればいいものを、政党のメンツ優先で国民は置いてけぼりだ。
結局、選挙で政党を選んでも、それは「白紙委任状」を渡してしまったのと同じこと。
次の選挙までは、やりたい放題やられてしまう。

そこで隠居は考えた。
「アンケート選挙」というのはどうだろう。

国のやるべき仕事を「国防」「外交」「社会保障」・・・などの項目に分け、各政党はその項目ごとに5W2H(なぜ、誰が、なにを、いつまでに、どこで、どのように、いくらで)をはっきりさせた政策を発表する。(これが本来の「マニフェスト」のはずだ。)
投票はマークシート方式で、どの項目は〇〇党、どの項目は△△党・・・と、項目ごとに政党を選ぶのである。
そして、最も多くの項目を獲得した政党が与党となる訳だ。
そうすれば、例え他党の提案した政策であっても、国民が望んでいればそれをせざるを得なくなるだろう。

しょせん、隠居の思い付きだ。そんな簡単なものでないのは百も承知。
だが、「白紙委任状」よりはましだと思うが、いかがなものであろう。
今の日本、これくらいの「変」をしないと、「変な国」のまま終わってしまいそうな気がする。

来年こそ、良い年でありますように。  


Posted by 迷道院高崎at 22:53
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2008年12月20日

金のなる木に花が咲く



高渋線の「ミスター・タイヤマン」店内にある「金のなる木」に花が咲いていた。
「金のなる木」の花を見たのは初めてなので、この不景気のさなか、何かご利益がありそうで、パチリとやってきた。

「金」といえば、もうだいぶ前だが、ラジオ「小沢昭一的こころ」で、「金々節(かねかねぶし)」という歌を流していた。
♪カネだ、カネ、カネ、この世はカネだー♪という歌詞がすごくインパクトがあった。

調べてみると、明治の演歌師・添田唖蝉坊(そえだ・あぜんぼう)という人の作った、「ああ金の世や」というのが元歌らしい。
その頃の「拝金主義」の世相を痛烈に皮肉っているのだが、現在でも充分通用する内容である。
長い歌詞の一部を抜粋してみよう。

ああ金の世や金の世や。地獄の沙汰も金次第。
   笑うも金よ、泣くも金。一も二も金、三も金。
親子の中を割くも金。夫婦の縁を切るも金。
   強欲非道と譏(そし)ろうが、我利我利亡者(がりがりもうじゃ)と譏ろうが、
痛くも痒くもあるものか、金になりさえすればよい。
   人の難儀や迷惑に、遠慮していちゃ身がたたぬ。

ああ金の世や金の世や。希望(ねがい)は聖(きよ)き労働の
   我に手足はありながら、見えぬくさりに繋がれて、
朝から晩まで絶間なく、こき使われて疲れ果て
   人生(ひと)の味よむ暇もない。これが自由の動物か。

ああ金の世や金の世や。牢獄(ろうや)の中のとがにんは、
   食うにも着るにも眠るにも、世話も苦労もない身体。
牛や豚さえ小屋がある。月に百両の手当をば、
   受ける犬さえあるものを。「サガッチャコワイ」よ神の子が、
掃溜(はきだめ)などをかきまわし、橋の袂(たもと)や軒の下、
   石を枕に菰(こも)の夜具、餓えて凍えて行路病者(ゆきだおれ)。

ああ金の世や金の世や。憐れな民を救うべき、
   尊き教えの田にさえも、我儘勝手の水を引く。
これも何ゆえお金ゆえ、ああ浅ましき金の世や。
   長兵衛宗五郎どこにいる。大塩マルクスどこにいる。


歌詞全文を知りたい方はこちらをどうぞ。

「金のなる木」は、ポロっと落ちた葉を土に刺しておくと根がついて、また立派な「金のなる木」に成長するらしい。
まるで金が金を生む資本主義の象徴のような木にも思えるし、
困難にめげず逞しく生きる庶民の象徴のような木とも思える。

今、大量の木の葉が、冷たいコンクリートの上に放り出されようとしている。
願わくは、木の葉一枚一枚を大切に、土に刺して育てて欲しい。
いつか花咲く、「金のなる木」なのだから。  


Posted by 迷道院高崎at 12:01
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