前箱田町の信号から200mほど北進すると、道向こうに墓地が見えます。
道を渡って、墓地に沿って東に入るのが「実政街道」です。
ここから先は、昔の道がけっこうそのまま残っています。
交差点の左角にあった墓地が「常円寺」です。
「箱田学校跡」という石柱が建っています。
高崎もそうでしたが、明治五年(1872)の学制発布で各地に学校が造られますが、そのほとんどはお寺を使用しました。
ここは明治十七年(1884)に開設され、十八年(1885)までということですから、わりあい遅い開設で短い期間だったのですね。
その隣には「菅原神社」があります。
鳥居の前に「東大橋」と刻まれた石柱があります。
同じ形の石柱が4基あるので、どこかの橋の親柱だったんでしょう。
道しるべも建っています。
このまま東へ進むと「東(あずま)村役場」へ通ずるようです。
道なりに140mほど進むと、ありました。
「東(あずま)公民館」の道沿いに「群馬郡東村役場跡」という石柱が建っています。
矢印が左を差しているので、道の反対側にあったらしいです。
隣に石柱がもうひとつあって、「あずま道」と刻まれています。
「あずま道」は古い道で、上毛野君(かみつけぬのきみ)が支配していた四世紀頃からあったようだと、前橋城南小学校の副読本「わたしたちの城南」に書いてあります。
この「あずま道」の一部が、後に「実政街道」として使われたのでしょう。
あと二つ建っています。
「東小学校」と「東中学校」発祥の地。
「東小学校発祥の地」碑には、こう刻まれています。
「東中学校発祥の地」碑には、
とあります。
「あずま道」≒「実政街道」は、ここから「滝川」を渡って川沿いに北進します。
あ、「あずまおおはし」。
「菅原神社」にあった親柱はここのものだったんですね。
70mほど行くと右へ下りる細い道がありますが、これが昔の道のようです。
道なりに角を2つほど曲がると・・・、
狭いながらもバス通りに出てきます。
左へ曲がってすぐ、道端に何かあります。
仲睦まじい道祖神さまでした。
ありがたいですね、いい所にベンチがありました。
ベンチで一休みしたら、また歩き始めましょう。
80mも歩くと、左前方に赤い屋根が見えてきます。
「観音堂」ですね。
三十四体の仏様が祀られてるそうですが、堂内は真っ暗で何も見えません。
堂の前には、立派な三重塔と、優しいお顔をした仏様の線描画が置いてありました。
今日はここまで。
道を渡って、墓地に沿って東に入るのが「実政街道」です。
ここから先は、昔の道がけっこうそのまま残っています。
交差点の左角にあった墓地が「常円寺」です。
「箱田学校跡」という石柱が建っています。
高崎もそうでしたが、明治五年(1872)の学制発布で各地に学校が造られますが、そのほとんどはお寺を使用しました。
ここは明治十七年(1884)に開設され、十八年(1885)までということですから、わりあい遅い開設で短い期間だったのですね。
その隣には「菅原神社」があります。
鳥居の前に「東大橋」と刻まれた石柱があります。
同じ形の石柱が4基あるので、どこかの橋の親柱だったんでしょう。
道しるべも建っています。
このまま東へ進むと「東(あずま)村役場」へ通ずるようです。
道なりに140mほど進むと、ありました。
「東(あずま)公民館」の道沿いに「群馬郡東村役場跡」という石柱が建っています。
矢印が左を差しているので、道の反対側にあったらしいです。
隣に石柱がもうひとつあって、「あずま道」と刻まれています。
「あずま道」は古い道で、上毛野君(かみつけぬのきみ)が支配していた四世紀頃からあったようだと、前橋城南小学校の副読本「わたしたちの城南」に書いてあります。
この「あずま道」の一部が、後に「実政街道」として使われたのでしょう。
あと二つ建っています。
「東小学校」と「東中学校」発祥の地。
「東小学校発祥の地」碑には、こう刻まれています。
「 | 明治十八年五月東地区十ヵ村で、この地に公立箱田小学校創設。 同二十三年四月東村誕生により東尋常小学校、同三十二年高等科併設、昭和十六年四月東村国民学校と改称。 同二十二年四月新制東小学校、同二十五年十二月現在の東小学校に移転、 |
小学校の学区域は、江田、古市、前箱田、後家、箱田、上新田、下新田、小相木、稲荷新田、川曲の十ヵ村。 | |
その後人口増加により昭和四十五年大利根小学校、同五十六年新田小学校が開校。」 |
「東中学校発祥の地」碑には、
「 | 昭和二十二年四月新学制実施により、東村立東中学校として発足、東小学校校舎を借用し、二部授業を実施。 |
同二十五年十二月校舎増築で二部授業解消。 学校区域は東村全域、同二十九年四月合併により前橋市立となる。 |
|
昭和四十二年七月光が丘町の現在地に新校舎落成。 同五十八年四月生徒増加により箱田中学校が開校。」 |
「あずま道」≒「実政街道」は、ここから「滝川」を渡って川沿いに北進します。
あ、「あずまおおはし」。
「菅原神社」にあった親柱はここのものだったんですね。
70mほど行くと右へ下りる細い道がありますが、これが昔の道のようです。
道なりに角を2つほど曲がると・・・、
狭いながらもバス通りに出てきます。
左へ曲がってすぐ、道端に何かあります。
仲睦まじい道祖神さまでした。
ありがたいですね、いい所にベンチがありました。
ベンチで一休みしたら、また歩き始めましょう。
80mも歩くと、左前方に赤い屋根が見えてきます。
「観音堂」ですね。
三十四体の仏様が祀られてるそうですが、堂内は真っ暗で何も見えません。
堂の前には、立派な三重塔と、優しいお顔をした仏様の線描画が置いてありました。
今日はここまで。
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