2024年04月06日

追跡再開 実政街道(9)

今日は新保田中町「下沖橋」からスタートです。


予め「実政街道」の名残り道を見当つけておきましょう。


橋から130mほど歩いた十字路の角に、何かあります。


だいぶ崩れてますが、石の仏様が手を合わせていました。

お供え物も上げてもらって、地元の人達に大切にされているようです。

石仏のある十字路を越えて、ここで左に曲がると前橋市青葉町に入ります。


昔はこの辺から斜めに北上していたらしいのですが、今は宅地になっています。


その東隣は「青葉公園」で、「実政街道」は公園を斜めに突っ切り「箱田中学校」の校庭に向っていたようです。

正面奥に校庭の高いバックネットが見えます。

「青葉公園」の南東角に「青葉町誕生の記念碑」というのが建っていました。


碑背には、こんなことが刻まれています。
新都市計画法に基づく市街化区域の指定を受けていた、白鷺が飛びかい、黄金の稲穂たなびく、稲荷新田町と前箱田町の一部の水田を、組合施工で区画整理事業を実施しようと、高崎市新保田中町内36名の地権者が、平成2年から準備をすすめ、平成4年に土地区画整理組合を結成し、平成11年までの10年間に、8.4ヘクタールに宅地を造成し、さらに公共用地も生み出し、新らしく誕生した町を、新たに居住した住民が”青葉町”と定めた。」

「実政街道」のことは書かれていませんが、青葉町前箱田町の境界線が、公園と校庭を斜めに突っ切る「実政街道」に見えてきます。


校庭の向こう側へ回ってみると、道端に何か建っています。


「史跡 実正(真政)街道」という石柱です。

建てたのは「あづま歴史散歩の会」ですが、よくぞ建ててくれました。

石柱にある「右の細い道」が、まさに青葉町前箱田町の境界線です。


いかにもそれらしく曲がりくねった、田んぼ中の道です。


道はすぐ住宅地に入ります。
60mほど行ってひょいと脇を見ると、家と家の隙間のような路地の奥が、何か気になりました。


路地の先は神社で、裏口から入ってしまったようです。


正面に回ると、「稲荷神社」でした。


こじんまりとした境内ですが、きれいに手入れされています。

端正なお顔立ちの「二十二夜様」


ぴしっとした造りの「菅原神社」


裏の路地から出ようとすると、道祖神さん達が並んで見送ってくれました。


道に戻って100mほど行き、「前箱田公園」の手前を右折します。


道なりに180mほど行くと丁字路にぶつかります。
「実政街道」は、たぶん真っ直ぐ続いていたと思うのですが、今は右折するしかありません。


右折すると、川曲-新前橋線の前箱田町交差点に出ます。


角に、不思議なお店二軒を発見。


一軒は「風船屋」さんらしいです。


もう一軒は・・・ん?

古着屋さん・・・か?
「昭和地獄」なんて書いてあるかと思えば、「昭和婦人服天国」とも書いてあるし。
どっちなんだ。

横へ回ってみると・・・、

「幽霊研究室」だって。
食堂もやってるのか?
う~~ん。

今日はここまでだな。




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Posted by迷道院高崎at 06:00
Comments(0)...続・実政街道