2018年10月14日

史跡看板散歩-番外編 富岡の小野小町(2)

前回に続き、富岡「小町山得成寺」の話です。

「得成寺」には、晩年の小町の姿を彫った、運慶「無我無心像」というのもあります。
これも、徳川家から寄進されたものだそうです。

本物は4月8日の花まつりの時にしか見られないということですが、本堂のガラスケースの中にその写真が飾られていました。


晩年とはいえ、絶世の美女・小野小町とはとても思えない姿ですが、どうやら平安時代に書かれたという「玉造小町壮衰書」に出てくる姿のようです。


漢字がびっしりですが、こんな感じでしょうか。
私が道を行く途中、道の傍らに一人の女人がいた。
容貌は憔悴し、身体は痩せ、髪は霜にあたった蓬のように白い。
肌は凍った梨のように皺が寄り、骨は飛び出し筋が浮き出て、顔の色は黒く歯は黄ばんでいる。
裸形にして衣はなく、履物もなく素足のまま。
声は震えてものを言うこともできず、足は萎えて歩くこともできない。
食べ物は尽きて、朝夕の食も支え難く、糠や屑米も悉く終わり、いつ命が終わるかも知れない。
左のひじには破れた竹籠を懸け、右手には壊れた笠を提げて、首には一つの包みを掛け、背には一つの袋を背負っている。」
(参考:杤尾武校注「玉造小町子壮衰書」)

将軍・徳川家綱が、なぜ全盛期の「小町の襖絵」と晩年の「無我無心像」の二つを寄進したのか、意味深です。

あ、そういえば、横尾応処斎の作品を捜して吉井町穴岡「弥勒寺」へお邪魔した時、本堂の廊下にこんな絵が掛かっていました。


ガラスで反射して見にくいですが、見にくくてよかったかも知れません。
十二単の女性が、おどろおどろしい骸(むくろ)に変化していく様子が描かれています。
「九相図」というらしいんですが、もしかするとこの女性は小町かも知れません。

  花の色は
   移りにけりな いたづらに
    わが身世にふる ながめせしまに

小野小町



【得成寺】


【弥勒寺】



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