2010年05月05日

行ってきました! 自然展

シティギャラリーで開かれている、「観音山丘陵の自然展」に行ってきました。
入り口で、ポコタが出迎えてくれています。
ポコタは、車にはねられて命を落としたのだそうです。


けもの偏に里と書くくらいですから、昔から人間のそばにいた動物なんでしょうが、まさか人間がそんなスピードで走るようになるなんて、思わなかったのでしょうね。
その内、「永泉寺のムジナ」のようなが出て来ないとも限りません。
スピードの出し過ぎには、注意しましょう。

会場には、「カッパピア」跡地にできる公園の、完成予想図も掲示されていました。


市民に愛され、観光客にも魅力のある公園に育てていきたいものです。
とも共生できる公園になれば、なおいいのですが。

おや?と思ったのは、「箕輪城」の復元想像図が掲示されていたことです。
観音山丘陵とは、直接関係はないはずですが、私としては嬉しい掲示物でした。


楽しみにしていたのは、元高崎経済大学教授・高階勇輔(たかはし・ゆうすけ)先生の講演です。

「観音山丘陵の今昔」という講演テーマだったのですが、いつもの先生らしく、テーマにこだわらない話が泉のように湧き出して、高崎っ子としては実に楽しいひと時でした。

その中で、高崎人町づくりについてのお話が心に残りましたので、ご紹介しておきましょう。

高崎人は変わり者が多かった。人が驚くようなことをやる。

高崎商人はしたたかで、金儲けがうまい。
 しかし、儲けた金は高崎のために使った。
 観音様でも、洞窟観音でも、市から補助金を貰おうなどと思わなかった。
 ケチじゃ、高崎人は務まらない。

◇町に降り立った時の景観や、会った人で、その町の印象が決まる。
 その印象を良くするのが町づくりである。
 高崎のことを聞かれた時に、説明できないようじゃいけない。

◇その土地に伝わる物語は、歴史であり資産である。

町づくりとは、あるべきものが、あるべきところにあるということが大切。
 あるものを活かしていく知恵が必要。

◇昔は、他所から高崎に入って来た人が大きな事をした。
 高崎に長く住んでる人は、そこそこで終ってしまう。
 それは、高崎の住み心地が良過ぎて、現状に安住しちゃうから。

最後の話には、思わずうーん、と頷いてしまいました。
1年以上も前の「あり過ぎし町、高崎」という記事を思い出したからです。

そして、先生はこうも仰っていました。
◇ここにいる一人ひとりが、高崎らしさを活かして、知恵を出して行動することが大切。

「観音山丘陵の自然展」実行委員会の方々の、地道な、そして積極的な行動力に敬意を表するとともに、高崎人の一人として見習わなければならないと感じた一日でした。




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この記事へのコメント
私たちは4日に行ってきました。
滝田吉一さんの展示のところに
滝田さんの妹さんが居られて
いろいろお話を伺うことができました。
資料として、箕輪城のパンフレット、
観音山丘陵の遊歩道地図、最終刊の上州風を
頂きました。
パンフレットは7日の参考になりました。

高崎人は変わり者というところだけは、該当しそうです。
Posted by いちじん  at 2010年05月05日 17:51
>いちじんさん

変わり者でしたか(^^)

私も自分のことをそう思ってますが、他の人から見てもそうらしいです。
でも、誰しも、多かれ少なかれ人と変わった所を持ってますよね。
それを、個性というんじゃないでしょうか。

高崎という町の個性は、どうなのかな・・・。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年05月05日 19:58
せっかく紹介して頂いたのに、残念ながら行けませんでしたので、迷道院さんのご報告がありがたいです。
観音山丘陵、おおいに興味があります。高崎のことももっと知りたいし・・・。
いろいろ調べ始めるとキリがなくて、時間がいくらあっても足りない状態ですが、またの機会がありましたら、ぜひ展示会に行きたいと思っております^^。
Posted by 風子風子  at 2010年05月05日 21:01
>風子さん

お忙しいようで、残念でしたね。
でも、風子さんは風子さんで大切な情報を発信して頂いてますし、それもありがたいことです。

今日の田島桂男先生の講演では、観音山丘陵というのは、板鼻から山名までの広い範囲を指すということです。
風子さんの安中と、私の高崎は丘陵で繋がってるわけですね。
それぞれの地域で、面白いところを見つけ歩きましょう(^_^)v
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年05月05日 21:53
ふーむ、迷道院様、高階勇輔先生のお話、高崎人とは私が頭の中で描いている上州人のイメージとまったくかさなりますね。特に儲けたお金についてケチケチせず、頓着しない。言葉は荒いが人は良い。
私は若かりし高校時代3年間、勢多農に通ってたので分かりますが案外上州人気質は前橋より高崎の方が色濃く残っていると思います。当時から私、街の感じは前橋よりは雑然としているが活気があり飾らない素朴な高崎が好きでした。
Posted by 柏木沢の農家おじさん  at 2010年05月06日 05:25
>柏木沢の農家おじさん様

ほほー、そうですかー。
内村鑑三の「上州人」も、頷けるところがありますね。

高階先生に「ケチじゃ高崎人は務まらない。」と言われて、ケチな私は、このブログネームどうしようかって、ちょっと悩みました(^^ゞ
ちょっとですけどね。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年05月06日 07:26
どうも、江戸って上州人が先住ではないかと。

江戸弁というか、アノ喧嘩っ調子のモノ言いは上州弁、それも、この高崎人のモノ言いに似てます。
武士の語尾の「・・・・のう」もこの辺り、北もう渋川辺りでは今でも言われます。

まあ、昔から天災がほとんどないこの地域、その意味では原住高崎人(農民)はおおらかというか開放的というか・・・・・
ここに、城を築き都を開いたときの近江商人とか越後、信州の商工人にとって実に住みやすいところだったんではないでしょうか。

因みに、江戸弁ですけど、それは千葉、茨城、栃木にみられる独特の抑揚のある訛りは聞けません。

高崎って、面白いです(笑)。
Posted by 昭和24歳昭和24歳  at 2010年05月06日 12:41
>昭和24歳さん

確かに、江戸弁に近いですよね。
私なんぞ社会人になるまで、自分は標準語をしゃべってるとばかり思ってましたから(^^ゞ

昨日の講演で田島桂男先生は、山地の末端であり関東平野の始点である高崎は、実に住みよいところと仰ってました。

いつまでも「お江戸見たけりゃ、高崎・・・」じゃなくて、「高崎見たけりゃ、高崎へ来(き)ない!」って言えるようにならなくっちゃですよね。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年05月06日 19:23
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