2010年04月23日

煉瓦つながり

煉瓦つながり常磐町「山田文庫」の角を北に曲がって、歌川町に入った取っ付きに、趣きのある「煉瓦倉庫」があります。

「たかさき都市景観賞」にもなっている、美峰酒類(株)「煉瓦倉庫」です。

煉瓦つながり昭和五十四年(1979)発行の「高崎の散歩道 第十集」には、右のような写真が掲載され、「・・・土蔵造りの美峰酒類株式会社がある。」と記述されています。

右端に黒っぽく写っているのが、「煉瓦倉庫」ではないかと思いますが、その並びにあったはずの土蔵造りの店は、取り壊されてしまったようで、今はありません。

煉瓦つながりこの店は、「高崎の散歩道 第十集」の表紙にも描かれています。

暖簾の文字を見ると、「?山」と書かれていますが、おそらく「蝋山」(ろうやま)と書かれているのです。
ここは、明治二十六年(1893)蝋山政右衛門、政次郎父子が新潟から移って来て、「蝋山酒造」として酒造りを始めた所なのです。

前回の記事をご覧になった方は、「山田文庫」の創設者・山田勝次郎氏の旧姓が、「蝋山」であったことをご記憶でしょうか。

「蝋山酒造」社長・政次郎氏の次男が、勝次郎氏です。
つまり勝次郎氏は、「煉瓦倉庫」のある蝋山家から、「煉瓦塀」のある山田家へ婿入りしたということになります。

「蝋山酒造」は、昭和十六年(1941)戦局の進展による経済統制で原料不足となり、サツマイモを原料とする焼酎の製造に転換します。
そして、昭和二十三年(1948)社名も「美峰酒類」と改めて、現在に至っています。

土蔵造りの店がいつ頃取り壊されたのか知りたくなって、美峰酒類さんをお訪ねしてみましたが、「古いことは分からないんです。」というお話でした。
せめて社史でもあればと思ったのですが、ちょっぴり残念でした。

煉瓦つながり煉瓦つながり
近くには、こんな素敵な家とお米屋さんが残っていました。


(参考図書:「高崎の散歩道 第十集」「高崎の明治百年史」)


【美峰酒類(旧・蝋山酒造) 煉瓦倉庫】





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Posted by 迷道院高崎 at 07:13
Comments(12)高崎町なか
この記事へのコメント
煉瓦倉庫・・・・・

ライブハウスにいいですね。

桐生の有麟館(?)あたりがそんな感じですけど。
あっ、棗がそうでしたね・・・・・
あそこ辺り、紫文さんのライブにはうってつけかと。
まあ、高崎にも探せばいくらでも古き良き昔のたたずまいが発見できますね。
Posted by 昭和24歳昭和24歳  at 2010年04月23日 07:26
>昭和24歳さん

最近は、蔵や倉庫でやるコンサートも多いですね。
紫文師匠と「棗」さん、雰囲気はぴったんこだと思います。
入れる人数に限りがありますけど、三部制にしたりすればいいんじゃないでしょうか。

最近の柳川町はよく知らないのですが、紫文師匠の似合う粋な飲み屋が並んでいたら、夜の高崎観光の目玉になるんですがね(^^)
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年04月23日 08:23
素敵な煉瓦倉庫!うれしくなってしまいます^^。
屋根にもうひとつ小さな屋根があるタイプは煉瓦造りでは初めて見たような気がします。
この小さな屋根の名前が思い出せなくて・・・調べてみたらやっと出てきました。
櫓(やぐら)・・・この櫓があることで、随分感じが違って趣がアップするような感じです。
煉瓦つながり、いいですね。いい感じの建物が残されているのですね~、見にいかなきゃ!(掛け声だけでなかなか実行できませんが)
Posted by 風子  at 2010年04月23日 08:49
>風子さん

ほー、「櫓」というんですか。
よくお蚕をやっている民家に、付いてるやつですよね。
「越し屋根」なんてのも聞いたことありますけど、最近のエコハウスにも採用されてるようですね。

煉瓦つながりで、ぜひご覧になって下さい。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年04月23日 09:13
迷道院様。私、君が代橋から公園の横を入り赤坂町の坂道までの町並みがすきなんですよ。
なんかタイムスリップしたような感じの所ありますよね。
今日、下佐野方面に仕事に行ったんですが、田んぼの中に「高崎倉庫」と大書きされた大きな建物がありました。
Posted by 柏木沢の農家おじさん  at 2010年04月23日 18:03
>柏木沢の農家おじさん様

下佐野で「高崎倉庫」発見されましたか!
今は、あそこが本社らしいですね。
昔は、確か高崎駅西口の「ビブレ」のとこが本社だったと思いますが。
「高島屋」も、高崎倉庫のテナントビルですしね。

君が代橋から赤坂町界隈、いいですよねー。
旧中山道の面影が残ってます。
今、その辺を徘徊中です!

ところで、柏木沢さんのメルアド教えて頂いてもいいでしょうか?
何ぞの時に、ご連絡申し上げたいので。
「オーナーへメッセージ」から、ご連絡を頂ければありがたいのですが。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年04月23日 19:56
実は私の父は、昭和22年から昭和48年まで
美峰酒類に勤務していました。社長は小山長四
郎さんでした。蝋山六人兄弟の四男でした。
今月の六日に、六男の六郎さんの告別式に出席しました、確か89歳だったとおもいます。
残念なことに、美峰酒類㈱という会社も数年前に無くなりました。
           合掌
Posted by 捨蚕捨蚕  at 2010年04月24日 11:48
>捨蚕さん

あ、お父上がお勤めだったんですか。

美峰酒類って、無くなったんでしたっけ。
あれ?先日取材で行った所は・・・。

福達磨の群馬酒造は無くなりましたよね。
昔、見学したこともあったんですが。
日本酒離れで、酒造会社も苦しいらしいですが。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年04月24日 19:25
多分、社名と経営者が変わったはずです。 

すぐ側の秋池さんとこにも、レンガ塀がありましたが。
Posted by 捨蚕捨蚕  at 2010年04月24日 19:54
>捨蚕さん

あ、そうでしたか。
知りませんでした。
いつぞやの、酒税逃れのペナルティが効いちゃったんでしょうか?
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年04月24日 20:39
高崎繁昌記の復刻版、私も持っています。
市史編纂会から郵送されてきました。
かつて、資料提供したらしく...
Posted by Tack  at 2010年08月05日 00:13
>Tack さん

コメント、ありがとうございました!
「高崎繁昌記」、昔を想像するには、とてもいい資料ですよね。

Tackさんのブログもとても素敵で、ウクレレやギターも弾かれるんですね。
私のJr.もギターに凝ってますので、会えばお話が合うかもしれません。
お気に入りの、「Piece of Cloud」クリックしてやって下さい。

これからも、よろしくお付き合い願います。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年08月05日 07:16
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