常磐町の「山田文庫」の角を北に曲がって、歌川町に入った取っ付きに、趣きのある「煉瓦倉庫」があります。
「たかさき都市景観賞」にもなっている、美峰酒類(株)の「煉瓦倉庫」です。
昭和五十四年(1979)発行の「高崎の散歩道 第十集」には、右のような写真が掲載され、「・・・土蔵造りの美峰酒類株式会社がある。」と記述されています。
右端に黒っぽく写っているのが、「煉瓦倉庫」ではないかと思いますが、その並びにあったはずの土蔵造りの店は、取り壊されてしまったようで、今はありません。
この店は、「高崎の散歩道 第十集」の表紙にも描かれています。
暖簾の文字を見ると、「?山」と書かれていますが、おそらく「蝋山」(ろうやま)と書かれているのです。
ここは、明治二十六年(1893)蝋山政右衛門、政次郎父子が新潟から移って来て、「蝋山酒造」として酒造りを始めた所なのです。
前回の記事をご覧になった方は、「山田文庫」の創設者・山田勝次郎氏の旧姓が、「蝋山」であったことをご記憶でしょうか。
「蝋山酒造」社長・政次郎氏の次男が、勝次郎氏です。
つまり勝次郎氏は、「煉瓦倉庫」のある蝋山家から、「煉瓦塀」のある山田家へ婿入りしたということになります。
「蝋山酒造」は、昭和十六年(1941)戦局の進展による経済統制で原料不足となり、サツマイモを原料とする焼酎の製造に転換します。
そして、昭和二十三年(1948)社名も「美峰酒類」と改めて、現在に至っています。
土蔵造りの店がいつ頃取り壊されたのか知りたくなって、美峰酒類さんをお訪ねしてみましたが、「古いことは分からないんです。」というお話でした。
せめて社史でもあればと思ったのですが、ちょっぴり残念でした。
「たかさき都市景観賞」にもなっている、美峰酒類(株)の「煉瓦倉庫」です。
昭和五十四年(1979)発行の「高崎の散歩道 第十集」には、右のような写真が掲載され、「・・・土蔵造りの美峰酒類株式会社がある。」と記述されています。
右端に黒っぽく写っているのが、「煉瓦倉庫」ではないかと思いますが、その並びにあったはずの土蔵造りの店は、取り壊されてしまったようで、今はありません。
この店は、「高崎の散歩道 第十集」の表紙にも描かれています。
暖簾の文字を見ると、「?山」と書かれていますが、おそらく「蝋山」(ろうやま)と書かれているのです。
ここは、明治二十六年(1893)蝋山政右衛門、政次郎父子が新潟から移って来て、「蝋山酒造」として酒造りを始めた所なのです。
前回の記事をご覧になった方は、「山田文庫」の創設者・山田勝次郎氏の旧姓が、「蝋山」であったことをご記憶でしょうか。
「蝋山酒造」社長・政次郎氏の次男が、勝次郎氏です。
つまり勝次郎氏は、「煉瓦倉庫」のある蝋山家から、「煉瓦塀」のある山田家へ婿入りしたということになります。
「蝋山酒造」は、昭和十六年(1941)戦局の進展による経済統制で原料不足となり、サツマイモを原料とする焼酎の製造に転換します。
そして、昭和二十三年(1948)社名も「美峰酒類」と改めて、現在に至っています。
土蔵造りの店がいつ頃取り壊されたのか知りたくなって、美峰酒類さんをお訪ねしてみましたが、「古いことは分からないんです。」というお話でした。
せめて社史でもあればと思ったのですが、ちょっぴり残念でした。
近くには、こんな素敵な家とお米屋さんが残っていました。
(参考図書:「高崎の散歩道 第十集」「高崎の明治百年史」)
【美峰酒類(旧・蝋山酒造) 煉瓦倉庫】