2010年04月21日

和風図書館と茂木銀行

常磐町「山田文庫」を象徴する「煉瓦塀」を中から見ると、こんな景色です。

塀の向こうに見える土蔵と煉瓦煙突は、「岡醤油醸造」のものです。

この景色には、電線が地中化していて欲しいところです。

植え込みの右にあるのが、本来の出入り口でした。

高さ3.5m、瓦屋根も付いた実に重厚な「煉瓦塀」ですが、和風のこの家にはちょっと不似合いにも思えます。

しかも、敷地全体を囲んでいる訳でもなく、中途半端な長さです。

これ、もとは九蔵町にあった「茂木銀行」の塀を、移築したものだそうです。
移築時期は定かでありませんが、昭和の初めだったのではないかと推定されています。
その塀がなぜここに移築されたかという訳は、長い話になりそうです。

「山田文庫」創設者の山田勝次郎氏は、旧姓を蝋山(ろうやま)と言いますが、結婚を機に山田姓となります。
妻のとくさんは、高崎倉庫(株)社長・山田昌吉氏の長女でした。
その昌吉氏は、高崎産業界において様々な中心的活動をした人物です。
グンブロガー捨蚕(すてご)さんの「上信電氣鐵道」や、拙ブログ「さすらいの春靄館」にも登場しています。
そして、前述の「茂木銀行」支店長を務めていたこともあって、「煉瓦塀」を自宅に移築することになったようです。

明治三十三年(1900)発行の「高崎市街商家案内寿語録(すごろく)」に、「合名會社茂木銀行高嵜(たかさき)支店」のコマ挿絵があります。

松の木の向こうに描かれているのが、「山田文庫」に移設したという「煉瓦塀」じゃないかと思われるのですが、どうなんでしょう。

ところでこの「茂木銀行」「横浜銀行」の前身だということをご存知の方は、少ないかも知れません。
そもそも、埼玉県にすら支店の無い「横浜銀行」が、なぜ遠い高崎に?という話です。

明治五年(1872)に制定された「国立銀行条例」に基づき、第一国立銀行(現みずほ銀行)に次いで、明治七年(1874)横浜の豪商たちが中心になって第二国立銀行が設立されます。
そのメンバーの中に、高崎出身の生糸貿易商・茂木惣兵衛(そうべえ)がいました。

高崎・九蔵町「第二国立銀行高崎支店」が開設されたのは、明治八年(1875)です。
群馬県で最初の銀行となる訳ですから、実に素早い動きです。
当時、生糸といえば上州、その上州の大商都である高崎と貿易港の横浜を結ばんとする、惣兵衛の力が大きく働いたことは、間違いありません。
本店を群馬県に置いた最初の銀行は、館林の第四十国立銀行。

惣兵衛らは、明治十一年(1878)横浜にもうひとつ銀行を設立します。
74番目だったので第七十四国立銀行といいますが、明治十七年(1884)には、やはり高崎九蔵町に支店を開設します。

さらに惣兵衛は、明治二十九年(1896)、自前ブランドの「茂木銀行」横浜に設立し、第七十四国立銀行をも統合します。
これにより高崎の支店は、「茂木銀行高崎支店」となる訳です。

さらに時を経て、大正後期の第一次世界大戦による不況で打撃を受けた「茂木銀行」は、再び第七十四国立銀行へ、さらに横浜興信銀行となって第二国立銀行とも合併し、現在の横浜銀行へと変遷していきます。
おそらく、この変遷の過程で旧・茂木銀行「煉瓦塀」が、常磐町山田昌吉氏邸宅に移築されたものと思われます。

右の写真は、昭和十五年(1940)頃の九蔵町交差点付近を、東から見た風景だそうです。

中央の時計台が高崎商工会議所、その右は第二国立銀行高崎支店、左が旧・茂木銀行(横浜興信銀行)高崎支店です。


残っていれば、↑こんな建物群が、
↓この一角にあったんだと想像してみて下さい。

(参考図書:「山田文庫三十年の歩み」「高崎市史」「高崎の産業と経済の歴史」)


【「茂木銀行高崎支店」があった所】





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この記事へのコメント
写真で見て、確かに中途半端な赤煉瓦塀だなぁと思っていましたが、、、な~るほど、ちゃんと訳があったのですね。屋根付きの煉瓦塀、立派です。
銀行の変遷も興味深いものがありますね。煉瓦塀からどんどん深いお話に繋がっていくおもしろさ・・・感服いたしました^^。
Posted by 風子  at 2010年04月21日 09:32
先輩。お久しぶりです。

その辺は小学校のころよく遊んでいた場所で…その近くに‘遊園地’という名の公園がありまして、そこで遊んでいると独特な臭いがしまして…山田文庫にいってみたくなりました。


ちなみに今日は、そのすぐ上の赤坂山長松寺でZAZENオフ会です。恒例でやってますのでお暇があれば是非参加してやって下さい。
Posted by ロシェPaPa  at 2010年04月21日 14:51
川崎家具のところですね。閉めちゃいましたけど。
ニトリは繁盛してますね(笑)。

実は川崎家具の創業者は僕の祖母の弟です。
ですからその隣の古めかしい建物は良く憶えています。

まあ、あの頃の建物が残っていたらさぞかし勇壮でしたでしょうね。
戦災にもあまりあわなかったわけですから・・・・・
で、中央公民館も更地になってしまいました。
Posted by 昭和24歳昭和24歳  at 2010年04月21日 19:16
>風子さん

そうなんです。
訳あり物件でした。

風子さんの記事とも、煉瓦つながりで。
次回の記事も、煉瓦つながりになりそうですよ(^^)
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年04月21日 20:07
>ロシェPaPaさん

すっかりご無沙汰してます。
ブログは、こっそり読ませて頂いてるんですけどね(^^)

遊園地という名の公園ですか。
どこなんでしょ?

ZAZENオフ会、弥乃助さんからもお誘い頂いたんですが、何しろ煩悩が服を着てるような私ですから、竹箆で滅多打ちに会うのが目に見えてます。

打たれ弱い性格なので、ご遠慮してます(^^ゞ
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年04月21日 20:15
>昭和24歳さん

川崎家具、そうでしたか!

空き家のビル、面白いデザインですよね。
てっぺんに、岩がくっついてるでしょ。
あれ、何とか活かせないもんでしょうか?
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年04月21日 20:18
こんにちは。

群馬に引っ越してきたときに、埼玉に支店がない横浜銀行の支店が、前橋や高崎にあるのを見て、私も不思議で調べたんです。
(私は横浜出身なので、メインバンクが横浜銀行だったんです)
でも、だいたいのことしか分かりませんでした。
今回のこの記事を拝見して、よ~くわかりました(^^)
勉強になりました!ありがとうございます。
Posted by まりまり  at 2010年04月22日 00:37
昔むかし、群銀の下仁田支店は店内に円柱が幾つもあり、重厚感溢れる建物でした。
担保のコン二ャク玉を収納する煉瓦の倉庫も
二つありました。ふとおもいだしました。 

写真の建物群が残っていたら面白かったですね。
Posted by 捨蚕捨蚕  at 2010年04月22日 07:05
>まりさん

コメントありがとうございました!

そうでしたか、横浜ご出身でしたか。
横浜もいい町ですよね。
歴史遺産もたくさん残っていて。

高崎と姉妹都市であってもいい位、深い関係があるんですけどね(^^)
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年04月22日 07:40
>捨蚕さん

コンニャク玉が担保とは、如何にも下仁田らしい話ですねー!

昔の銀行の建物も、見ようによっては「金に飽かした」豪華建築ですが、それだけに壊さずに残して欲しかったですね。
川越はそれを残して、今、観光スポットになってますもんね。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年04月22日 07:57
祖母の弟は商才に長けてたようです。
昭和の初めには通町で小さな商いを・・・・
直に、ご案内の九蔵町に細工場と店舗を。
その細工場は大きなものでした。
さらに、九蔵町、弓町、高砂町、山田町等々には手代の職人を配し東京へも輸出(笑)してたようです。
因みに僕が育った高砂町の家も川崎家具の材木置き場に戦後建てたものでした。
で、迷道院高崎さんもご案内の藤巻くんですけど僕の家とは地続き。というのも藤巻くんちは家具職人で、そこも元々は川崎家具の・・・・・
戦後の復興で家具は爆発的に売れましたね。
まあ、今はタンスはそうは売れません。ニトリ商法はいかにして当たったんでしょうか。
中国ですねキーワードは。で、問屋町にも支店を出した川崎家具もその長い歴史の幕を閉じることとなっちまいましたね。

ところで、紫文ライブ、行きましょうねっ!!
Posted by 昭和24歳昭和24歳  at 2010年04月22日 15:26
>昭和24歳さん

ほーっ、随分と手広くやってらしたんですね。
やっぱり才能というのは、生まれながらなんでしょうか。

紫文ライブ、行きますよ!
何とか、高崎観光大使になってもらわなくっちゃ!
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年04月22日 19:04
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