2010年03月08日

号外!「高崎に住んでた山本勘助」

昨年の12月、「次」か「治」か?の記事に、高崎市史編纂委員の中村茂先生から、こんなコメントを頂きました。

「九蔵町大雲寺に武田信玄の軍師山本勘助の子孫の墓があるので、宣伝して下さい。
墓には「助」とありますが、「次」「治」と同じく、文字が違っても一向に差し支えありません。甲陽軍鑑が「勘」を使ったので、その後の書物が「勘」を使用しているのです。
山本家は山城国淀藩に仕えたが、改易のため浪人となり、大河内家の祖松平信興の土浦藩に就職しました。
近く、群馬の森の県立博物館の黒田館長が、館長講座で高崎藩士山本家の由緒を発表します。」


えぇっ!?と思いました。
山本勘助って、川中島の合戦で戦死したはず。
その子孫の墓が高崎にあって、墓には「菅助」と書いてある?
頭の中、ぐじゃぐじゃです。

で、待ち遠しい思いで待っていた、県立歴史博物館・黒田日出男館長の講座「山本勘助の江戸時代」を、3月6日(土)に聞きに行ってきました。

黒田館長のお話では、山本勘助はつい最近まで、架空の人物であるというのが近代歴史学の定説となっていたと言います。
ところが、平成二十一年(2009)六月、安中市原市で薬屋を営んでいた真下家から、山本勘助実在を証明できる可能性のある書状が見つかったのだそうです。
調べたら、6月11日の上毛新聞に、載っていましたのでご覧ください。


この文書は、明治維新により禄を失った山本家が、生活のために甲冑などと共に手放したものであろうということです。
それが、安中真下珂十郎の入手するところとなり、真下家所蔵文書として伝来したのだろうという訳です。

実はこの文書、明治二十五年(1892)に東京大学史料編纂所へ持ち込まれたことがあるのです。
持ち込んだのは、山本菅助の十三代目にあたる山本喜三氏でした。
ところが、原本は既に売却されていたため、持参したのがその写しだったことから、「偽文書」扱いされてしまったのです。
もしもその時、原本が持ち込まれていたなら、山本菅助架空人物説は崩れていたでしょう。

その原本が、今になって見つかったのですから、大騒ぎです。
黒田館長は、
「もはや、山本菅助を架空・虚構の人物とすることは絶対にできない。
近現代の歴史学の方が不明を恥じ、菅助に謝らなければならないのである。
これは、歴史学が生み出した冤罪だったのだ。」

と仰っています。

因縁めいた話ですが、黒田館長は元・東京大学史料編纂所長をされていたのです。

さて、山本菅助高崎の関係ですが、四代目山本菅助※1(晴方)が松平家に奉公したことで、元禄八年(1695)松平輝貞壬生から高崎城主として転封されたのに伴い、菅助も五代目以降十二代目の明治維新まで高崎藩に仕えることになりました。
※1三代目・山本菅助が、寛永十年(1633)下総古河城主・永井信濃守に仕えた折、代々山本菅助を名乗れと命じられ、以降、山本家当主は代々菅助を名乗る。

コメントを下さった中村茂先生は、高崎藩史の地道な研究の過程で、藩士の墓を一つひとつ調査・研究されています。
その中で、山本菅助の墓を発見されたということで、黒田館長もそのお仕事を高く評価されていました。

雨の大雲寺へ、菅助の墓を探しに行きました。

正面に「山本菅助之墓」と刻まれてばかりいると思って、墓地を一回りしましたが、見つかりません。

二回り目でやっと見つけました。

←この一角が、山本家の墓地です。

写真が下手で、よく分からないかもしれませんが、
「山本菅助入道道鬼七世孫
 山本菅助菅原晴生」

と刻まれています。→

高崎のこの一角に、伝説上の人物と言われてきた山本菅助の子孫が眠っているのです。
すごいことではありませんか!
歴史を塗り替えることになるこの遺跡を、高崎市が持っていたことに、驚きと、誇りを感じます。
そして、その貴重な歴史遺産を掘り起こして下さった、中村茂先生と、黒田日出男館長に心より感謝申し上げます。
ありがとうございました。

最後に、心に残った黒田館長の言葉をご紹介いたします。
「歴史研究は時間との戦いです。
 今この瞬間にも、歴史資料はどんどん失われています。
 論文を書くことが歴史研究の仕事ではありません。
 歴史資料を確保し、残すことが
 歴史研究の最も大切な仕事です。」


【大雲寺 山本菅助子孫の墓】





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この記事へのコメント
おはようございます
大変勉強になりますね
Posted by 大泉FP事務所  at 2010年03月08日 03:33
山本菅助・・・・・

大雲寺ですか。

曹洞宗ですね。

お見事!!!
Posted by 昭和24歳昭和24歳  at 2010年03月08日 06:10
>大泉FP事務所さん

朝早くのコメント、ありがとうございます!
専門にご研究頂いてる先生方のおかげで、本当に楽しい驚きを感じられます。
高崎中の人に、知って頂きたいなぁと思っています。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年03月08日 07:53
>昭和24歳さん

こんな凄いものが、高崎にあったんですねー!
しかも、北爪九蔵の町に!
凄いですよ、すごい!
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年03月08日 07:57
先日はありがとうございます。
勘助の墓、いいですね。
昨日、長野で勘助の墓を探した話を聞いたばかりで、偶然です。
上毛新聞でも連載小説で倉賀野城が大変ですね。
それはさておき、望浅閣のこと、大分わかりましたよ。
Posted by 捨蚕  at 2010年03月08日 09:42
Wikipediaで「山本勘助」を調べると「子孫等」で、勘助の嫡子の名は勘蔵で天正3年(1575年)の長篠の戦いで戦死とあり、また熊本にも勘助の孫云々の記述があり、「江戸時代に高崎藩士となった末裔もいる」ともあります。越後にも子孫がいるとか。
つまり、勘助はもちろん実在し、その末裔の記録があちこちで見つかっている・・・ということ?
現存する文書の信ぴょう性もケンケンガクガクで・・・う~ん、面白いけど眠れなくなりそうです^^。
Posted by 風子  at 2010年03月08日 10:22
迷道院様、大変興味深く拝見しました。忠臣蔵の例の様に「仮名手本」など後世の芝居や講談などで、間違った歴史になる事がよくありますね。今回の文書や迷道院様が確認した大雲寺の子孫のお墓は非常に貴重な財産だと思います。
こういった隠れた歴史遺産の発見に至るまでの研究者の皆様の地道なご苦労が偲ばれますね。
大変勉強になります。
Posted by 柏木沢の農家おじさん  at 2010年03月08日 18:18
>捨蚕さん

こちらこそ、かえってお気遣いさせてしまいまして。

勘助の墓、千曲川のほとりにあると聞いていますが、これからいろんな謎が解き明かされて行くのでしょうね。

望浅閣の謎、解けましたか?
記事、楽しみにしております!
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年03月08日 22:36
>風子さん

眠れなくなると困りますよね(^^)

勘助の子孫と言われる方は、全国にいらっしゃるそうですね。
山本五十六は、越後の勘助の子孫だと言われているそうですし。

安中の「学習の森」にも、一度行ってみたいな、と思っています。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年03月08日 22:42
>柏木沢の農家おじさん様

本当に、研究者の方々のお力で、私のような凡人でも少しづつ正しい知識を得ることができます。
ありがたいことです。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年03月08日 22:46
本当に有ったのですね・・・。
私の家の過去帳に、
 安政九年
 高崎七世 山本官助晴夫 四十七歳
 上州高崎 大雲寺ニ葬
と書かれており、気になっていました。
確かな情報を有難うございます。

他に山本勘助晴幸にかかわる事が沢山書かれていますが、ここまでつながる系図が出来ると良いですね。
もし、ご存知の事が有りましたら、教えてください。
Posted by 先祖の1人が山本勘助と・・・?  at 2013年03月10日 06:57
>御子孫様

コメントありがとうございました。

実の御子孫からコメントを頂けるなんて、改めてネットのすごさを実感しております。
頂いたコメントは、中村茂先生にお伝えしておきます。
何か発展することがありましたら、ご連絡申し上げますので、よろしくお願い致します。

ありがとうございました。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2013年03月10日 08:56
中村先生のご紹介、ありがとう御座いました。
3月18日にお会いする事が出来、色々と教えて頂きました。
山本家から養子として迎えた、当家5代にあたる祖先が、初代の山本勘介晴幸と系図上でつながっている事が初めて確認出来ました。
とても名誉な事です。
ありがとう御座いました。ネットでの情報公開と言うのは本当にすごいですね。
Posted by 先祖の1人が山本勘助と・・・?  at 2013年03月20日 20:07
>山本勘助の御子孫様

本当にすごいことですね。
まさかと思うようなことが起こります。

ご先祖のことがはっきりして、本当に良かったですね。
中村先生とのご縁も、不思議な繋がりを感じます。
いつも思うことですが、世の中は偶然と思える必然で繋がっているのでしょう。

貴重な情報、ありがとうございました。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2013年03月20日 21:00
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