見所多い参道を通って、やっと「常仙寺」の山門に辿り着きました。
「常仙寺」は、慶長十四年(1609)の開基とされています。
「金古宿」が正式に宿場となったのが、やはり慶長十四年と言いますから、宿場整備の一環であったのかも知れません。
寺の広い敷地は、三国街道を通って攻め込む敵を迎え撃つための兵の集結場でもあり、宿場が火災に見舞われた時などの避難所でもあります。
そのため、宿場・街道から大分奥まった所につくられています。
しかし、避難所となるべき「常仙寺」自体、安永か天明の頃でしょうか、殿堂伽藍ことごとく焼失する火災に見舞われています。
本堂は、天明二年(1782)に再建されますが、それから168年後の昭和二十五年(1950)、庫裡から発生した火が、渡り廊下を伝って本堂にまで達し、再び焼失してしまいます。
現在の本堂は、昭和四十年(1965)に再建されたものだそうです。
山門を潜ると、左手に立派な鐘楼が建っています。
昭和四十三年(1968)の落慶だそうです。
植え込みに、「知足石(ちそくいし)」がありました。
「吾唯足るを知る」
好きな言葉です。
本堂の前には、「鐘の声 久遠にとどけ 秋彼岸」と刻まれた鐘塔が建っています。
どなたかの寄進かと思ったら、鐘に「為妻久子菩提」と鋳込まれていました。
奥様の為に、建立されたんですね。
その向こうには、「只管打座(しかんたざ)」という言葉を思い出す、あばら骨の浮き出た僧の石像があります。
無言の迫力とは、こういうものかも知れません。
圧倒されます。
「ローラーはんこ」みたいなのもありました。
「摩尼車(まにぐるま)」と言うんだそうです。
車に書かれているのは、観音経の経文です。
「一回一誦」と刻まれていますが、この車を一回転させると観音経を一回読んだことになるというんですから、有り難いものなんですね。
本堂を右に回った所に、「精進童子」と書かれた小僧さんの石像がありました。
ちゃんと箒を持ったその姿、なかなか可愛いですよね。
梅が咲いたら、また来たいなあ、と思わせてくれます。
駐車場にも、興味深いものがあります。
「清竹現仏性」と刻まれているのでしょうか。
礎石には、「竹箒感謝報恩之塔」とあります。
碑面や礎石上面の縞模様は、竹箒の掃き目を表していたんですね。
裏面には、次のような碑文が刻まれていました。
「小子 昭和二十二年住山以来五十八年
この間浄境の清掃に費消した竹箒は凡そ五千本
箒の恩澤と竹霊に対してこの塔を建立し
深甚なる敬意と感謝の真心を捧ぐ
平成十七年(西紀2005年)秋彼岸 当山十九世 大智全苗 敬白」
今は、85歳になる奥様が、毎朝境内を掃き清めていらっしゃいます。
「おかげさまで、風邪をひかないの。」という言葉が印象的でした。
「常仙寺」にお見えになったら、ぜひ境内の箒の掃き目にも、目を留めてみてください。
そこに仏が現れているかもしれません。
さて、今日は「常仙寺」境内の見所を、一挙にご紹介しようと思ったのですが、大分長くなってしまいました。
残りは、次回にまわすことに致しましょう。
それほど、見所の多い「常仙寺」です。
「常仙寺」は、慶長十四年(1609)の開基とされています。
「金古宿」が正式に宿場となったのが、やはり慶長十四年と言いますから、宿場整備の一環であったのかも知れません。
寺の広い敷地は、三国街道を通って攻め込む敵を迎え撃つための兵の集結場でもあり、宿場が火災に見舞われた時などの避難所でもあります。
そのため、宿場・街道から大分奥まった所につくられています。
しかし、避難所となるべき「常仙寺」自体、安永か天明の頃でしょうか、殿堂伽藍ことごとく焼失する火災に見舞われています。
本堂は、天明二年(1782)に再建されますが、それから168年後の昭和二十五年(1950)、庫裡から発生した火が、渡り廊下を伝って本堂にまで達し、再び焼失してしまいます。
現在の本堂は、昭和四十年(1965)に再建されたものだそうです。
山門を潜ると、左手に立派な鐘楼が建っています。
昭和四十三年(1968)の落慶だそうです。
植え込みに、「知足石(ちそくいし)」がありました。
「吾唯足るを知る」
好きな言葉です。
本堂の前には、「鐘の声 久遠にとどけ 秋彼岸」と刻まれた鐘塔が建っています。
どなたかの寄進かと思ったら、鐘に「為妻久子菩提」と鋳込まれていました。
奥様の為に、建立されたんですね。
その向こうには、「只管打座(しかんたざ)」という言葉を思い出す、あばら骨の浮き出た僧の石像があります。
無言の迫力とは、こういうものかも知れません。
圧倒されます。
「ローラーはんこ」みたいなのもありました。
「摩尼車(まにぐるま)」と言うんだそうです。
車に書かれているのは、観音経の経文です。
「一回一誦」と刻まれていますが、この車を一回転させると観音経を一回読んだことになるというんですから、有り難いものなんですね。
本堂を右に回った所に、「精進童子」と書かれた小僧さんの石像がありました。
ちゃんと箒を持ったその姿、なかなか可愛いですよね。
梅が咲いたら、また来たいなあ、と思わせてくれます。
駐車場にも、興味深いものがあります。
「清竹現仏性」と刻まれているのでしょうか。
礎石には、「竹箒感謝報恩之塔」とあります。
碑面や礎石上面の縞模様は、竹箒の掃き目を表していたんですね。
裏面には、次のような碑文が刻まれていました。
「小子 昭和二十二年住山以来五十八年
この間浄境の清掃に費消した竹箒は凡そ五千本
箒の恩澤と竹霊に対してこの塔を建立し
深甚なる敬意と感謝の真心を捧ぐ
平成十七年(西紀2005年)秋彼岸 当山十九世 大智全苗 敬白」
今は、85歳になる奥様が、毎朝境内を掃き清めていらっしゃいます。
「おかげさまで、風邪をひかないの。」という言葉が印象的でした。
「常仙寺」にお見えになったら、ぜひ境内の箒の掃き目にも、目を留めてみてください。
そこに仏が現れているかもしれません。
さて、今日は「常仙寺」境内の見所を、一挙にご紹介しようと思ったのですが、大分長くなってしまいました。
残りは、次回にまわすことに致しましょう。
それほど、見所の多い「常仙寺」です。