2009年12月06日

「切干塚(首塚)」伝承 第一話

「切干塚の不思議」の続きです。

明治三十四年(1901)に、下小鳥の人々により建立された、「枉冤旌表之碑」(おうえんせいひょうのひ)の碑文は、おそらく「切干塚(首塚)」伝承が初めて文字になった、いわば原典ともいうべきものです。

真塩寛(紋弥)作の難解な漢文を、昭和三十二年(1957)発行、萩原進氏著「騒動」の中で、氏が読み下したものを以下にご紹介致します。

(文中括弧内は、迷道院高崎推定による読みと解釈が混在していますので、ご了承下さい。)
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伝に曰く、枉(おう:無実の罪)をあげ直を措(さしおけ)ば、即ち民は信に服せざるもの哉。
其の挙措(きょそ:振る舞い)当らざれば、即ち其れ其の民を平服するを得る能わざる也。
往昔(おうせき:さる昔)、当閭(りょ:村里)に不服の挙有り。
閭の治宰は本郡高崎の藩主松平丹波守、任ぜり。
吏の挙措其の当を得ざる従(よ)り、はやく馭民の策を失い、吏民踶囓(ていけつ:争い)の声を聞けり。
実に元和三年正月四日也、藩属夜を挙げて閭を襲い、閭人一斉に斃(たお)れり。
暗戕(しょう:殺す)殆ど生を殱(つく)すに至れり。
於虖(ああ)、枉邪冤邪(おうやえんや:無実の罪だ)、将(まさ)に邪を強いて縦(ほしいまま)に、下は上を犯すの譴(つみ)を為す有らんとす。
老・幼・婦・穉(ち:赤児)、一として其の極罰の惨、下となす者に専(もっぱ)らなるを与(あずか)り知れり。
天命は之れを性と謂う。
人の敢えて誣す(しいす:捻じ曲げる)可きに非ず。
焉(これ)に反すれば其治を得ざる也。
抑(そもそも)激戛(げきかつ:激しく打つ音)の声、偏(かたより)を作(な)さず、雙觸抗柝(そうしょくこうたく:双方入り乱れ)の激突を生じ、偏柝(一方)声無きは宛(さながら)に仁に敵無きが如く也。
古今、難瞑の死を遂ぐる者尠(すくな)からずと雖(いえど)も、斯くの如きは希世希(ま)れ也。
終天絶期すること能わず、瞑難の忿(いかり)は脳を貫き臍を噛み、衆怨の其の所に攅萃(さんすい:集まり)し、枉直の殃慶(おうけい:災いと慶び)其の所に報ゆる也。
千載の下照々として、孰(いずれ)か克く蔽わん。
今や天定勝人の隆運遭遇し、帰願正啓に及ぶ。
圧伏の隠懟(つい:怨み)、枉霊冤鬼憤を消して、以って斯の上に瞑す。
後裔慨往悼歎に勝(たえ)えず。
石に勒し先魂を慰む。

六拾四翁狂酔  真塩寛撰

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読み下し文でも、なかなか難しい文でした。
我慢してお読み頂いた方に、敬意と謝意を表したいと思います。

次回は、昭和十五年(1940)頃、東京日日新聞(現毎日新聞)群馬支局に寄せられた、住谷某氏の「切干塚」伝承の書簡というものをご紹介いたします。




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