2009年10月14日

蛇口から魚?

「北の遠構え」で、この水は大橋町長野堰(新井堰)から取水しているとご紹介しました。

蛇口から魚?現在の「新井堰」です。
右側に水門がありますが、これが「遠構え」の取水口です。

蛇口から魚?大きな欅の木の下の水路が、当時を偲ばせる雰囲気で流れています。

高崎城下を縦横に流れていた「新井堰」からの水は、今では想像もできないほどの清流だったようで、水路の水は飲料水にも使われていたそうです。

しかし、明治になって高崎の人口が急激に増えてくると、水路への下水流入により、飲料水としては適さない状態になっていきます。
家庭用の井戸を掘る人も出てきましたが、素掘りの水路から浸透した汚水により、良質の井戸水を得ることは難しかったようです。

蛇口から魚?そこで、高崎中心部の15ヵ町が連合して、「新井堰」から新たに飲料用の簡易水道を敷設することとします。

竣工したのは明治二十一年(1888)で、水量は高崎の全戸に給水できる量でしたが、給水は15ヵ町連合内に限られたため、恩恵に被れたのは全戸のわずか4割程度だったようです。

その簡易水道も、沈砂池貯水溝を設けた程度の、ごく簡単なものであったので、大雨や夕立があったりすると、すぐに濁り水が出たといいます。
それどころか、ボウフラミミズ、時には小さなまで蛇口から飛び出してきたというから驚きです。

そんな飲料水の状態でしたから、腸チフスに感染する人も多く、明治二十一年には高崎市街で感染者数290人という大発生が起きています。
それは、歩兵第15連隊の兵営内でも同じだったようです。
明治三十三年(1900)に初代高崎市長となった矢島八郎氏が、真っ先に取り組んだのが「安全な上水道」の敷設で、これを市是として宣言しています。

蛇口から魚?それから10年後の明治四十三年(1910)、市長3代にわたって取り組んできた剣崎浄水場が完成し、高崎市全域に上水道が供給されて、やっと市民は安全な水を飲めるようになった訳です。

そして今、信州大学の中本信忠教授に「高崎の水は日本一おいしい」と言って頂いたおかげもあってか、剣崎浄水場の水は「高崎百年水」としてペットボトル販売されています。

蛇口から魚?中本教授の論文は、こちらのブログをご覧ください。 →

19頁~20頁にかけて、高崎市にあったキリンビール工場のエピソードと共に、明治に作られた剣崎浄水場の凄さが紹介されています。

ブログタイトルの下には、「蛇口から魚」ならぬ、「目からウロコの話」とあります。
さてさて、高崎の町づくりも、明治という時代をもう一度見直してみる必要はないでしょうか。
意外と、「ヒョウタンから駒」が出たりして・・・。

(参考図書:「新編・高崎市史」「実録たかさき」)


【新井堰】

【剣崎浄水場】

【高崎市水道記念館】




同じカテゴリー(高崎町なか)の記事画像
史跡看板散歩-117 旧第二国立銀行と茂木銀行跡
号外!連雀町の百年写真展開催中!
史跡看板散歩-32 高砂町(2)
史跡看板散歩-31 高砂町(1)
史跡看板散歩-29 一里塚跡(九蔵町)
史跡看板散歩-28 九蔵稲荷
同じカテゴリー(高崎町なか)の記事
 史跡看板散歩-117 旧第二国立銀行と茂木銀行跡 (2018-11-25 08:11)
 号外!連雀町の百年写真展開催中! (2018-11-20 15:26)
 史跡看板散歩-32 高砂町(2) (2017-02-19 07:14)
 史跡看板散歩-31 高砂町(1) (2017-02-12 07:48)
 史跡看板散歩-29 一里塚跡(九蔵町) (2017-01-29 07:19)
 史跡看板散歩-28 九蔵稲荷 (2017-01-22 07:53)

この記事へのコメント
長野堰から分水して東一条通り、東二条通りの下を流れている水路は簡易水道と関連するのでしょうか。東二条通りの水路は遠堀とは別に平行して開削されているようですね。


確かに明治中期、矢島市長時代以降、高崎の上水道、電気、瓦斯などライフラインのインフラが急速に整備されていますね。
Posted by ふれあい街歩き  at 2009年10月14日 17:54
>“ふれあい街歩き”さん

文化七年の「御城内外惣絵図」で見ると、既に水路が描かれていますので、城下町の造成時には既にあったようですね。
高崎の城下町は、度々大火に見舞われていますので、防火用水利としての位置付けも大きかったのかもしれません。

矢島市長というのは凄い人ですね。
高崎駅を作るために私有地をポンと提供したり、その功績で「矢島町」と命名しようという話にも頑として固辞したので、「八島町」になったとか、とにかく気骨の人ですよね。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2009年10月14日 19:37
>迷道院高崎様

早速のご回答有り難うございます。文化七年には既に水路があったとは知りませんでした。

最近、東一条通りの通町付近で暗渠をやめてせせらぎに戻しましたが、往時を偲ばせる景観が復活して潤いのある街並みになったと思います。
Posted by ふれあい街歩き  at 2009年10月14日 21:34
>“ふれあい街歩き”さん

そうでしたね、東一条通り。
いい佇まいになりました。
先日、フリーマーケットが開催されてましたね。
「せせらぎ通り」なんていう名前も付いたようで。
市民の想いが、仰るような「潤いのある街並み」を強く望むようになれば、行政もその方向に動いてくれると思います。
市民力に期待したいですね。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2009年10月14日 21:49
>迷道院高崎様

全く同感です。

市民力と言えば、昨年の都市緑化フェアや今年の花路花通りが思い起こされますね。
殺風景な街並みが、通りに花壇があることで見違える程綺麗な風景になりました。

それだけに花壇が跡形もなく無くなってしまったのが残念です。
このままガーデンシティを目指しても良かったのに…、と思います。
市民力を信じれば案外夢物語ではないかも知れません。
Posted by ふれあい街歩き  at 2009年10月15日 11:10
>“ふれあい街歩き”さん

街なかの花壇、撤去されてしまったようですね。
地方によっては、町内毎やブロック毎に花壇を作って競っているところもあります。
私のところの団地でも、愛好者が空き地をきれいな花壇にしてくれています。
ありがたいことです。
市民力、使わない手はないですよね。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2009年10月15日 19:08
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
蛇口から魚?
    コメント(6)