2009年08月05日

浅間のいたずら

「夫婦堰」に沿って、さらに東へ進むと、右手の田んぼの中にこんもり盛り上がったが見えます。

一見、古墳のように見えますが、実は天明三年(1783)の浅間山(あさまやま)の噴火で降り積もった灰を集めてできたものだそうです。
どのくらいの灰が降り積もったかというと、 富沢久兵衛という人が記した「浅間記(浅間山津波実記)」によると、「高崎,倉かね(倉賀野?)辺壱尺余・・・」とありますから、30cmぐらい積もったようです。(早川由紀夫氏の「浅間山ページ」より)
それを掻き集めるのは、さぞかし大変なことだったと思います。

天明の浅間山大噴火は、旧暦の8月3日、新暦(グレゴリオ暦)では9月1日にあたるそうです。(Wikipediaより)
ちょうど、今の「防災の日」ですね。
当時の人々も、もうこんな災害は起きて欲しくないと願ったのでしょう。
灰を掻き集めたの上に祠を祀り、「浅間山(せんげんやま)」と名前を付けました。

萩原町にも、同じように降灰を集めた塚の上に祀った、「浅間(せんげん)神社」というのがあるそうです。
きっと当時は、あちこちに沢山このような塚ができたのでしょう。

「浅間山(せんげんやま)」の塚の上には、祠の隣にちょっと怖い顔をした石像があります。→

「勝軍地蔵」ということで、本来、戦勝を祈るためのお地蔵さんですが、宿業(しゅくごう:前世の行為による報い)や飢饉などを免れるご利益もあるそうです。
天明年間には大飢饉もあったといいますから、人々の切実な思いが込められているのでしょう。

「浅間山(せんげんやま)」の上では、雨蛙のカッパを着たコロボックル達が、突然の闖入者に驚いたのか、ピョンピョンと逃げ惑っていました。

桐の木の幹には、コロボックルの乗り物が二つ、置きっ放しになっています。

突然のお邪魔を詫びて、コロボックル達の小さな国を後にしました。


【浅間山(せんげんやま)】


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この記事へのコメント
灰も積もれば山となるんですね~。

群馬に来て20年弱ですが、
鎌原村・観音堂で石段を初めて訪れた時、
凄い衝撃を受けました。村の復興の話にも。


浅間山といえば・・・
浅間山荘事件を連想します。
ついでに大久保といえば・・・
ハイ、清ですねー(笑)
Posted by AO  at 2009年08月05日 14:04
>AOさん

そうですか、お生まれは群馬ではなかったんですね。
でも、20年住めばもう立派な上州人でしょうか。
鎌原の話は、本当にすごいですよね。
現代よりずっと合理的な考え方で、村を復興してるんですから。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2009年08月05日 19:10
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    コメント(2)