白い馬が二匹いました。
一匹は反省してるんでしょうか、うなだれてます。
向こう側の一匹は奥さんなんでしょうか、気のせいか怒ってるように見えます。
ここは、南大類町の柳原観音堂(馬頭観世音)です。
どうでしょう、なかなか姿の美しい素敵なお堂だと思いませんか?
軒の左側に、由来を書いた額が掛けられていますが、それを見ると永長年中(1906~1907)に源(新田)義重が造営したとあります。
ただ、その後火災で焼失してしまい、現在の堂宇は、天保十四年(1843)から近郷百六ヶ村で寄付を募り、嘉永五年(1852)に再建されたものだそうです。
堂の周囲には、みごとな彫刻が施されていますが、特に正面の梁に巻き付いた龍の彫刻は、素人目にも素晴らしいと思います。
堂内の二匹の白馬の胎内には、享保二十年(1735)江戸日本橋ねずみ屋製作と書かれているそうです。
前述の由来額には八幡太郎義家の逸話が書かれていますが、内山信次著「徐徐漂(ぶらり)たかさき」には、こんな話が紹介されています。
それは随分昔のことだそうですが、この柳原で一人の女の人が馬に蹴られて死にました。
その人は身籠っていました。
それから暫くたって、観音堂に安産を祈って参籠していた婦人の夢枕に、身籠った美しい裸身の観音様が現れてこう言ったそうです。
「私は馬に蹴られて死にましたが、今は馬頭観音になったので、あなたのお産を守ってあげましょう。」
またこんな話も聞きました。
年に何回かの観音様の縁日の「お蝋」の燃えさしを貰い受けておいて、妊婦が産気づいた時、「お蝋」をとぼして安産を祈るのだそうです。
「美しい裸身の観音様」と聞くと、私は弁天様を連想します。
←境内の左奥に、かつては水が湛えられていたはずの「弁天池」跡があります。
その中島に、屋根に蛇が這っている一風変わった祠があります。
白蛇は弁天様のお使いと言われていますから、おそらく弁天様の祠なのでしょう。
草に埋もれさせておくには勿体ない、珍しい代物だと思います。
もう一度池に水を入れ、「美しい裸身の弁天様」に戻ってきてもらってはどうでしょうか。
一匹は反省してるんでしょうか、うなだれてます。
向こう側の一匹は奥さんなんでしょうか、気のせいか怒ってるように見えます。
ここは、南大類町の柳原観音堂(馬頭観世音)です。
どうでしょう、なかなか姿の美しい素敵なお堂だと思いませんか?
軒の左側に、由来を書いた額が掛けられていますが、それを見ると永長年中(1906~1907)に源(新田)義重が造営したとあります。
ただ、その後火災で焼失してしまい、現在の堂宇は、天保十四年(1843)から近郷百六ヶ村で寄付を募り、嘉永五年(1852)に再建されたものだそうです。
堂の周囲には、みごとな彫刻が施されていますが、特に正面の梁に巻き付いた龍の彫刻は、素人目にも素晴らしいと思います。
堂内の二匹の白馬の胎内には、享保二十年(1735)江戸日本橋ねずみ屋製作と書かれているそうです。
前述の由来額には八幡太郎義家の逸話が書かれていますが、内山信次著「徐徐漂(ぶらり)たかさき」には、こんな話が紹介されています。
--------------------------
いつだったか南大類でこんな話を聞いたことがあります。それは随分昔のことだそうですが、この柳原で一人の女の人が馬に蹴られて死にました。
その人は身籠っていました。
それから暫くたって、観音堂に安産を祈って参籠していた婦人の夢枕に、身籠った美しい裸身の観音様が現れてこう言ったそうです。
「私は馬に蹴られて死にましたが、今は馬頭観音になったので、あなたのお産を守ってあげましょう。」
またこんな話も聞きました。
年に何回かの観音様の縁日の「お蝋」の燃えさしを貰い受けておいて、妊婦が産気づいた時、「お蝋」をとぼして安産を祈るのだそうです。
--------------------------
「美しい裸身の観音様」と聞くと、私は弁天様を連想します。
←境内の左奥に、かつては水が湛えられていたはずの「弁天池」跡があります。
その中島に、屋根に蛇が這っている一風変わった祠があります。
白蛇は弁天様のお使いと言われていますから、おそらく弁天様の祠なのでしょう。
草に埋もれさせておくには勿体ない、珍しい代物だと思います。
もう一度池に水を入れ、「美しい裸身の弁天様」に戻ってきてもらってはどうでしょうか。
【柳原観音堂】