2009年07月15日

民家に残る高崎城

高崎城址公園に旧高崎城「乾櫓(いぬいやぐら)」が復元されているということは、ほとんどの高崎市民がご存知だと思います。
ただ、近くに立つ説明看板をじっくり読んだという高崎市民は、意外と少ないのではないでしょうか。

看板には、こんなことが書かれています。
「幸いにこれ(乾櫓)が保存されていたのは、明治初年に払い下げられ、下小鳥町の梅山氏方に移り、納屋に用いられていたからである。」

昭和二十六年(1951)、たまたま、高崎市史編纂委員数人が下小鳥町を踏査中、風変わりな土蔵を発見したのです。

委員の一人、本多夏彦氏所蔵の「旧高崎城各部実測図」と照合したところ、「乾櫓」だということが判明したということです。(「開化高崎扣帖」より)

ただ、「乾櫓」発見時には、図面にある「しゃちほこ」が屋根に付いていませんでした。
これについては、説明看板にこのように書かれています。
「屋根の『しゃちほこ』は、栗崎町の五十嵐重五郎氏宅に現存する、もと高崎城のものを模造したものである。」

・・・ということは、栗崎町に行けば、本物の高崎城の「しゃちほこ」に会えるということですね。

これは、探しに行かない訳に行きません。
愛車「赤ちゃり」に打ち跨って、栗崎町を探索したのですが、なんせ、この地域は五十嵐姓だらけです。
しかも、どの家もどの家も、立派な門を構えているのです。

細い脇道まで入り込んで、やっと見つけました!
付いてます、付いてます、「しゃちほこ」!!

高崎城には、「しゃちほこ」の付いた門が、八つあったそうです。

実は、この調査をしている段階で、民家に移築されている旧高崎城の門が、台新田町にもあるという情報を得ました。

これも探し回りましたが、何と「隠れマリア」地福院のすぐ近くでした。

情報では、この門は旧高崎城烏川に面した西門(裏門)とありますので、おそらく「刎橋(はねばし)御門」であろうと思います。

ご主人に、この門の由来をお聞きすることができました。
「明治四年(1871)の廃藩置県の時、初代高崎市長の矢島八郎の勧めで、村長だったこの家に移築した。
高崎城の後ろの烏川から、筏で岩鼻まで運んだ。」

ということです。

今となっては残念な旧高崎城の取り壊しですが、当時も財政難だったようで、売れるものは市内の素封家に売却したものと思われます。

もしかすると、まだまだどこかの民家に高崎城が残っているかもしれません。

心当たりのある方は、ぜひとも市・文化財保護課にご連絡願いたいと思います。
(参考図書:「高崎城絵図」「岩鼻地区の歴史的遺産を写真でつづる」
「高崎の散歩道」「開化高崎扣帖」)


【復元された「乾櫓」】


【栗崎町 高崎城の「しゃちほこ」】


【台新田町 高崎城の「裏門」】


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この記事へのコメント
この記事の中の台新田の門は、私の実家です。
Posted by クシブチ  at 2018年04月07日 19:16
>クシブチさん

そうでしたか!
それは、それは。

当日お話し頂いたのは、お父様でしょうか。
いきなりの訪問にもかかわらず、お話をして頂きありがたかったです。
よろしくお伝えください。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2018年04月08日 07:29
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    コメント(2)