2009年07月08日

裏返え碑

裏返え碑「銀河鉄道?」の取材の時、岩鼻小学校近くの踏切(第三栗崎踏切)から、左の写真のような塔の先っちょが見えました。

裏返え碑「なんだろう?」と思って行ってみると、「忠霊塔」と書かれた塔が建っていました。
あぁ、ここにも忘れられかけた戦争遺跡があったのですね。

裏返え碑←その「忠霊塔」の右には、もうひとつ石碑が建っています。

しかし、これが実に不思議な石碑なのです。

写真を拡大して、お分かりになるでしょうか?
何も文字が刻まれていないのです。

裏返え碑ところが、後ろへ回ってみると刻まれていました。

「忠魂碑」と刻まれています。

やはりこれも戦争遺跡のようです。

それにしても、なぜ裏返しになっているのでしょう?

近くの畑に居た方にお聞きしてみましたが、ご存じではありませんでした。

不思議に思いながら家路についたのですが、帰ってきて「高崎の散歩道 第三集」を見ていたら、謎が解けました。

説話文学家で郷土史家の吉永哲郎氏が、このように書いています。

「・・・この踏切りをわたる前に、東の方にこんもりとしている木立から、
 忠霊塔が見える。
 そこには戦時中役場に建立されていた乃木希典の書「忠魂碑」の
 大きな石碑が、こともあろうに裏側を正面にしてある。
 その正面には太平洋戦争で戦死したこの里の出身者の名を刻して
 あるが、この石碑が裏面を表にするには次のようなことがあった。
 終戦時には日本中の里で、国策に関する戦争賛歌を思わせる物件は、
 何もかも破壊しようとする面と、それを隠そうとする方向があった。
 この石碑もいったんは土の中にあったが、戦没者の慰霊碑として
 よみがえった。
 しかし、むかしのものは裏になった。」


そんな歴史があったのですね。
岩鼻近辺には、このような戦争遺跡がたくさん眠っています。
これらの遺跡にもう一度光を当てれば、平和について考えるテーマパークになるのではないでしょうか。

【裏返え碑(忠魂碑)】



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