岩鼻町交差点の西に、旧中山道を跨ぐ歩道橋があります。
この歩道橋の脇を南に入った突き当りが、昔、岩鼻代官所の牢獄があった場所です。
明治になって、岩鼻代官所が岩鼻県庁となり、明治四年(1871)の廃藩置県により岩鼻県庁が廃止された後も、牢獄は岩鼻監獄として残りました。
道の突き当たりは、現在、近藤医院となっています。
近藤家は、岩鼻監獄の典獄(現在の刑務所長)を務めていました。
入口の両脇の石垣は、よく岩鼻監獄時代のものと言われますが、実際は明治二十年(1887)に岩鼻監獄跡地が近藤家に払い下げられた時に、作られたものだそうです。
岩鼻監獄といえば、五万石騒動の第二総代・丸茂元次郎と山田勝弥が収監された所です。
明治四年(1871)、共に徒刑十年を科せられましたが、気の毒にも山田勝弥は服役中に病死してしまいます。
元次郎収監中の明治十年(1877)、岩鼻監獄に57名もの囚人達が送り込まれてきます。
遠く、薩摩の地で起きた西南戦争で敗北した西郷軍の俘虜達です。
この人達は、長崎から船で横浜まで送られ、そこからは陸路で岩鼻まで来たということです。
東京-高崎間に鉄道が開通したのは明治十七年(1884)ですから、横浜から歩かされて来たのでしょうか。
元次郎は、西南戦争の囚人達とも当然知り合いになります。
その内の一人に、鬼丸源作という物凄い名前の人がいました。
鬼丸は懲役1年だったので、元次郎よりも早く放免されますが、その時、獄中で書いたという狂歌を元次郎に渡したようで、今も丸茂家に残っているそうです。
監獄を地獄と詠んでいますが、面白いのを、いくつかご紹介しましょう。
しゃばにては 色と酒とを 好めども
地獄に住めば 食うことぞ おもふ
地獄から しゃばに生まれて 湯に入りて
酒食したなら これが 極楽
地獄より しゃばに生まれて 鬼どんが
ただ壱合の 酒に ぐらぐら
五万石騒動も西南戦争も、日本という国が大きく転換する時代の悲劇といえましょう。
そんな二つの悲劇が出会った岩鼻監獄も、今はまったくその跡かけらも見当たりません。
後世に残しておくべき史跡だったのではないでしょうか。
そう思いつつ旧中山道に戻ると、道角に「陸軍用地」と刻まれた石柱を見つけました。
そうでした、明治十二年(1879)、陸軍岩鼻火薬製造所設置と同時に、岩鼻県庁跡地は、陸軍に接収されたのでした。
次回は、その跡地を散策してみましょう。
この歩道橋の脇を南に入った突き当りが、昔、岩鼻代官所の牢獄があった場所です。
明治になって、岩鼻代官所が岩鼻県庁となり、明治四年(1871)の廃藩置県により岩鼻県庁が廃止された後も、牢獄は岩鼻監獄として残りました。
道の突き当たりは、現在、近藤医院となっています。
近藤家は、岩鼻監獄の典獄(現在の刑務所長)を務めていました。
入口の両脇の石垣は、よく岩鼻監獄時代のものと言われますが、実際は明治二十年(1887)に岩鼻監獄跡地が近藤家に払い下げられた時に、作られたものだそうです。
岩鼻監獄といえば、五万石騒動の第二総代・丸茂元次郎と山田勝弥が収監された所です。
明治四年(1871)、共に徒刑十年を科せられましたが、気の毒にも山田勝弥は服役中に病死してしまいます。
元次郎収監中の明治十年(1877)、岩鼻監獄に57名もの囚人達が送り込まれてきます。
遠く、薩摩の地で起きた西南戦争で敗北した西郷軍の俘虜達です。
この人達は、長崎から船で横浜まで送られ、そこからは陸路で岩鼻まで来たということです。
東京-高崎間に鉄道が開通したのは明治十七年(1884)ですから、横浜から歩かされて来たのでしょうか。
元次郎は、西南戦争の囚人達とも当然知り合いになります。
その内の一人に、鬼丸源作という物凄い名前の人がいました。
鬼丸は懲役1年だったので、元次郎よりも早く放免されますが、その時、獄中で書いたという狂歌を元次郎に渡したようで、今も丸茂家に残っているそうです。
監獄を地獄と詠んでいますが、面白いのを、いくつかご紹介しましょう。
しゃばにては 色と酒とを 好めども
地獄に住めば 食うことぞ おもふ
地獄から しゃばに生まれて 湯に入りて
酒食したなら これが 極楽
地獄より しゃばに生まれて 鬼どんが
ただ壱合の 酒に ぐらぐら
五万石騒動も西南戦争も、日本という国が大きく転換する時代の悲劇といえましょう。
そんな二つの悲劇が出会った岩鼻監獄も、今はまったくその跡かけらも見当たりません。
後世に残しておくべき史跡だったのではないでしょうか。
そう思いつつ旧中山道に戻ると、道角に「陸軍用地」と刻まれた石柱を見つけました。
そうでした、明治十二年(1879)、陸軍岩鼻火薬製造所設置と同時に、岩鼻県庁跡地は、陸軍に接収されたのでした。
次回は、その跡地を散策してみましょう。
(参考図書:「高崎の散歩道 第二集」)
【岩鼻監獄跡地】
【陸軍用地と刻まれた石柱】