2009年06月21日

どちらでもいいそうです

昨日、高崎市歴史民俗資料館主催の「五万石騒動史跡巡り 中居地区編」に参加してきました。

写真中央のメガホンを持っている方がこの日の講師、高崎市史編纂専門委員の中村茂先生です。

40人ほどの参加者は、やはり中高年層で占められます。
「五万石騒動スイーツ巡り!」とでもすれば、若い方も参加してくれるのでしょうが・・・。

歩いている途中、ここ数日間気になっていた、丸茂元次郎が正しいのか、丸茂元治郎が正しいのか、資料館員の方にそっと聞いてみました。

お答えは、
「昔の人は、音(おん)が合っていれば、字は気にしなかったようです。」ということでした。
うーん、確かに歴史上の人物でもいろいろな文字を当てています。

念のため、元治郎の墓地で中村先生にも同じ質問をそっとしてみました。
お答えは全く同じでした。
字はどちらでもよかったんですね。
昔の人のおおらかさに比べ、数日間も小さなことにこだわっていた自分を笑っちゃいました。

今回の史跡巡りで最大の収穫は、
上中居諏訪神社に伝わる伝説の「抜け縄」を見られたことです。

「抜け縄」については、以前このブログの「ひいらぎさま」で紹介していますが、一度実物を見てみたいと思っていたのです。
今日は、この伝説をもう少し詳しくご紹介しましょう。

---------------------------
第二総代となった丸茂元次郎は、常日頃より諏訪神社お稲荷様を厚く信奉していました。
2回目の訴願のために密かに上京した元次郎は、捕り手の目を欺くために玩具の行商人を装っていました。
ある日、急に眠気がさして道端でうとうとしていると、いつの間にか捕り手に囲まれて、縄を打たれてしまいます。
思わず、「うわぁーーーーっ!」と大声を上げた途端に目が覚めて、辺りを見回すと何事もありません。

この夢を不思議と思った元次郎は、国元の父に夢の次第を知らせました。
父は、きっと諏訪神社お稲荷様が、息子が災難に逢わぬように夢で知らせてくれたのだろうと、早速お稲荷様に御礼を言いに行き、神官の氏にもこのことを話しました。

それを聞いた氏も驚きます。
同じ晩、氏のところに、元次郎が捕われたことを知らせに東京の若者が来たというのです。
ところが、それも夢だったのです。

不思議なこともあるものだと言いながら、二人がお稲荷様へ行ってみると、拝殿の真ん中に、ちょうど人が縛られた縄を抜け出たような形で、縄が置いてあったといいます。

そこで村人達が集まって、お稲荷様にその神意を聞くために祈りますと、こう言ったそうです。
「・・・日頃我を信仰しているのでヤピッコを遣い、
 元次郎の身代わりにたたせ捕縛されたままここまできて、
 神殿において縄抜けをさせた。」


(細野格城著・佐藤行男氏訳「高崎五万石騒動」より)

---------------------------

一度はお稲荷様に身代わりになってもらって捕縛を逃れ、訴願の責務も果たした元次郎ですが、そこでついに囚われの身となります。
しかし、お稲荷様のご加護は続いたのでしょう。
獄死することもなく刑期を終え、72歳の天寿を全うすることができました。

それにしても、科学的にはあり得ないと思われる「抜け縄」の話ですが、昔の人にとっては、嘘か真かはどちらでもよかったのでしょう。
そんな昔の人のおおらかな心、現代にも必要かもしれませんね。


同じカテゴリー(高崎五万石騒動)の記事画像
号外!高崎城押し出しウォーキング!
史跡看板散歩-40 高崎五万石騒動義人堂
駅から遠足 観音山(29)
号外!高崎五万石騒動義人祭
第3回 高崎五万石騒動義人祭
五万石騒動 140周年
同じカテゴリー(高崎五万石騒動)の記事
 号外!高崎城押し出しウォーキング! (2018-11-08 17:57)
 史跡看板散歩-40 高崎五万石騒動義人堂 (2017-04-16 07:09)
 駅から遠足 観音山(29) (2015-04-19 10:59)
 号外!高崎五万石騒動義人祭 (2015-02-12 18:46)
 第3回 高崎五万石騒動義人祭 (2013-02-06 12:14)
 五万石騒動 140周年 (2010-10-06 19:46)

この記事へのコメント
昔はもっとおおらかでしたよね。
いそぎすぎず、まったりと生きたいものです。
Posted by ぼらぼら  at 2009年06月21日 22:08
>ぼらぼらさん

「まったり」、いいですねー。
昔の人は、どこへ行くにも歩きですから、いちいち急いでたら参っちゃうんでしょうね。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2009年06月21日 22:44
「どちらでもいい」と、言うことでは無いとは思います。
名前はやはりひとつだと思います。
元次郎と多くの文献はなっているが元治郎が正解。
当時の人は確かに音に比べて字はあまり気にしていないかも知れませんが、なぜ「治」が「次」となってしまったのか? 
と、言うことを解明するべきと(今回帰省して)感じました。

その解答もおぼろげに解明出来ているのですが、若干確認が要ります。
また、ここに詳細を載せる事は、父と丸茂家のプライバシーに関わるのでその点も躊躇します。

いずれにしてもしばらくお待ちください。
Posted by 丸茂 博  at 2010年08月08日 16:20
>丸茂様

解明の兆しが見えましたか!
分かったら、差し支えない範囲で、ぜひ教えてください。

ところで、丸茂さん、7日の夕刻に丸茂家墓地にご家族といらっしゃいましたか?
ちょうど、そこを通りかかった時に、墓地から出てこられた方がいらっしゃいましたので、もしかして、と思ったのですが(^^)
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年08月08日 20:30
>ところで、丸茂さん、7日の夕刻に丸茂家墓地にご家族といらっしゃいましたか?
>ちょうど、そこを通りかかった時に、墓地から出てこられた方がいらっしゃいましたので、もしかして、と思ったのですが(^^)

はい、昨日(15時頃?)と今日(10時頃)、丸茂墓に行って過去碑を確認してきました。
Posted by 丸茂博  at 2010年08月08日 20:40
>丸茂様

あー、そうですかー。
私が通りかかったのは、17時を回っていたので、違ったかもしれませんね。
失礼いたしました。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年08月08日 20:49
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
どちらでもいいそうです
    コメント(6)