2009年06月17日

五万石騒動の「万屋」

前回、「梅乃木大神と五万石騒動」で予告した岩鼻宿「万屋」が、どこにあったのか知りたくなって、高崎市歴史民俗資料館へ行ってお尋ねしてみました。
すると、流石です。
平成20年に資料館で企画した「史跡巡り 岩鼻」の資料を持ってきて下さいました。

その資料の表紙には、横倉興一氏作成の「岩鼻代官所(陣屋)想像図」というのが掲載されおり、そこに、「萬屋(よろずや)」というのが描かれているではありませんか。
意外と、代官所つまり岩鼻県庁のすぐそばに「万屋」はあったのです。

この「万屋」五万石騒動の舞台となったのは、大総代・柴崎村高井喜三郎が捕えられた明治二年(1869)のことです。
「三国屋」岩造一家の岡っ引き達は、倉賀野宿外れ梅の木で大総代・下中居村佐藤三喜蔵を捕えた直後、岩鼻宿「万屋」高井喜三郎の捕縛に向かいます。

「万屋」に踏み込むと、喜三郎はじめ岩鼻県庁へ来た名主達約20人ほどが茶を飲みながら雑談中でしたが、間抜けなことに岡っ引き達は喜三郎の顔を知らなかったのです。
そこで「喜三郎気をつけ!」と声を上げると、喜三郎は狼狽してこの場から逃げ出そうとします。
それを見て「あれが喜三郎に違いない!」と、一斉に飛びかかり、取り押さえてしまいます。(細野格城著・佐藤行男氏訳「高崎五万石騒動」より)

現在、岩鼻代官所跡地の広大な敷地は日本化薬の社員寮となり、代官所の面影をわずかに残しているのは、天神山古墳だけになってしまいました。
天神山の麓には、昭和三十九年(1964)当時の代官所跡地周辺地図看板が立っています。
(朱記部分は、迷道院加筆)

「万屋」のあったと思われるところに、マークを付けてみました。
そこから南(右)へ目を移してみると、「牢」と書かれているのに気が付きます。
代官所時代の牢獄があった場所です。

明治四年(1871)に岩鼻県庁が廃止され、翌年、陣屋が焼失した後も「岩鼻監獄」として、明治二十一年(1888)に現前橋刑務所が開設されるまで使われました。

この「岩鼻監獄」はまた、五万石騒動の第二総代・上中居村丸茂元次郎が、十年の刑を言い渡されて収監された所でもあります。
次回は、その丸茂元次郎についてお話ししようと思います。

【岩鼻代官所跡】


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この記事へのコメント
何かの縁でしょうか?
今日、戒名を彫り終わった過去碑を取り付けに丸茂家の墓地に行きました。
で、丸茂元次郎らしきお墓を見つけました。
でも、元治郎となっていましたが・・・。
ちなみに戒名には「清心院浄誉恭本居士」と彫られてありました。
Posted by 弥乃助弥乃助  at 2009年06月17日 18:35
おー、そうでしたか。
上中居のパーマ屋さんの前ですよね。
後で写真を撮りに行こうと思っていたんですが、「治」になってましたか。
確認しに行ってみましょう。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2009年06月17日 19:03
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五万石騒動の「万屋」
    コメント(2)