2009年06月06日

粕沢の立場茶屋

粕沢の立場茶屋大正中期から昭和初期にかけて、倉賀野から高崎方面へ進むと、写真のような風景が見られたようです。
(写真は高崎市史民俗調査報告書「倉賀野町の民俗」より拝借)

ここは倉賀野町正六(しょうろく)です。

「正六」とは面白い地名ですが、一説には、新田義貞の血を引いているという女性が、この地の浅間山(せんげんやま)に住んでいて、その女性が「正六位」という位階を持っていたことから、この村を「正六」と呼ぶようになったということです。

写真の場所は、大正半ば以降の上正六粕沢という所で、写っている家は「諸国商人宿」だそうです。

実は、この家について貴重な情報を得ることができました。
前回の「並木たずねて・・・」でお世話になった須永志嘉夫さんがまとめられた、「上正六村 歴史年録」という小冊子に次のようなことが記されています。
明治の中頃、粕沢橋のたもとには、長野堰・五貫堀の流れに沿って篠笹の茂る土手があり、その土手下の窪みに冷たい澄んだ水が湧き出ていた。
その湧水を使って、酢饅頭をつくっていた『清水屋』というお店があった。
『清水屋』が昭和初期に店を閉めた後、村越という女性が住み着いて、出稼ぎの人たちを相手に始めた木賃宿が『諸国商人宿』だった。」

遡って江戸時代には、このあたりに「粕沢の立場茶屋」というのがあったといいます。(高崎の散歩道 第二集)
茶屋ができたのは、文化年間(1804~1817)、茶屋の主は、高崎宿本町に住む当代の文化人、花岡義旭(平八郎)という人だそうです。

当時の粕沢は滝もある水量の多い川で、その水を引いて池には蓮の花が咲き、鯉の泳ぐ風流な茶屋だったということです。
参勤交代の大名も、旅人も必ず立ち寄ったといいます。

「高崎の散歩道 第二集」には、「粕沢の立場茶屋」「はなおかゴルフ練習場」のところであったと書いてあります。
ゴルフ練習場の名前からすると、花岡義旭のご子孫の経営だったのでしょうか。
現在は、ドラッグストア「ウエルシア」になっています。


【粕沢の立場茶屋があったといわれる場所】


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Posted by 迷道院高崎 at 08:12
Comments(2)倉賀野
この記事へのコメント
いやぁ、うならせますねぇ~~~

とくに、「大正中期から昭和初期にかけて、倉賀野から高崎方面へ進むと、写真のような風景が見られたようです。」は涙もんですね。

まいったなぁ~~~~

こういうのには弱いんです。安中の杉並木もそうでしたけど。
行政は都合で切っぱるんですねぇ。
まあ、間もなく僕らは終わりますが・・・・・
「どぎゃんせんといかん」ですねぇ!!
Posted by 昭和24歳昭和24歳  at 2009年06月06日 12:18
>昭和24歳さん

うなってくれましたかー!
いやー、私もうなりたいですよ。
やっぱり、民力しかないかもしれませんね。
倉賀野では、矢島五左衛門さんの家が復元されましたよ。
ネットワークの皆さん、頑張ってるようです。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2009年06月06日 19:12
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