2009年05月21日

倉賀野八景

倉賀野八景倉賀野町の安楽寺には、いろいろな額が奉納されています。
>「大願成就」をご参照ください。)

今日は、安楽寺に奉納されている「倉賀野八景」額のお話です。

高崎には、「何とか八景」というのがいくつかあって、「高崎八景」をはじめ、「並榎八景」「長松寺八景」そして今回ご紹介する「倉賀野八景」が知られて・・・いるかな?
群馬町と榛名町が高崎と合併したので、「金古八景」「本郷八景」も加わることになります。

上の写真の「倉賀野八景」額は、明治年代のものだそうで、絵や文字もだいぶ薄くなって判読できません。
先人が書き残してくれていますので、ご紹介しましょう。

養報寺落雁 雁の来る ことにして待つ 溜井かな
九品寺晩鐘 暮れのかね 秋にもあきを かさねけり
安楽寺晴嵐 人声も かれぬ並木の あらしかな
大杉の月  水音の かよう梢や けふの月
太鼓橋涼  橋筋の するりと涼し 夕景色
烏川帰帆  羅(うすもの)に 風のつつまる 船路かな
飯玉の松  額(ひたい)うつ 松のしづくや 初時雨
八幡の雪  月花の 場所も替わらぬ 雪見かな

実は、隣には新しい「倉賀野八景」の額が奉納されています。
倉賀野八景平成になってから奉納されたもので、戊寅(つちのえ・とら)とありますから平成十年(1998)です。
文字もハッキリとしてはいるのですが、読めません。
篆書体で書かれた七言律詩になっているのです。
これには、大変困りました。

図書館へ行って、新型インフルエンザに怯えながら篆書字典を引くこと3時間、頑張ってはみましたが、どうにも判読できない文字が6文字残ってしまいました。
作者は奉納当時94歳、刻字された方も87歳という御年です。
ご存命ならば、104歳、97歳ということになりますので、お聞きするには、ちと・・・。

ということで、県立歴史博物館の学芸員さんに教えてもらおうとしましたが、日程の折り合いがつきません。
市の文化財保護課の方にも相談しましたが、「篆書はどうも・・・」ということでした。
斯くなる上は、安楽寺のご住職に聞いてみようと思い立ち、お寺を訪ねてみました。

すると、「燈台もと暗し」「案ずるより産むが易し」「下手な考え休むに似たり」「当たって砕けろ」「虎穴に入らずんば虎児を得ず」・・・。
なんだかわかんなくなっちゃいましたが、住職の奥様の「あー、訳したものがありますよ。」の一言で、簡単に解決してしまいました。
高崎在住の文芸評論家、故・江口恭平氏の書いた「飯嶋仲秋と倉賀野八景」という一文のコピーを、頂戴することができました。

この一文には、飯嶋仲秋氏の人となりや、新「倉賀野八景」作詩の経緯も書いてありましたが、今日は七言律詩のご紹介のみに留めておきましょう。(横書きにしてあります。)

  倉賀野八景
雪時嘗賞弁天景  (雪時かつて賞す 弁天の景)
雨夜更遊新湖頭  (雨夜さらに遊ぶ 
新湖[しんつつみ]の頭[ほとり])
九品晩鐘響郷倉  (九品の晩鐘 郷倉に響き)
孤城落雁群烏洲  (孤城の落雁 烏洲に群がる)
花光爛漫薬師夕  (花光爛漫 薬師の夕べ)
月色玲瓏古墳秋  (月色玲瓏[れいろう] 古墳の秋)
遙望飯玉青嵐後  (遥かに望む飯玉 青嵐の後)
河岸白鷺似帰帆  (河岸の白鷺 帰帆に似たり)

この他にも安楽寺には、ご紹介したいものがたくさんあります。
次回は、それらをまとめてお話しいたしましょう。


【安楽寺】



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Posted by 迷道院高崎 at 22:28
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