2009年05月19日

大願成就

「穴薬師」のある、倉賀野町安楽寺「大願成就」と書かれた額が奉納されています。
よく見ると、その文字は古銭の「寛永通宝」を並べて作られています。

「寛永通宝」には一文銭と四文銭があるそうですが、どちらなのでしょう。
因みに、銭形平次が投げつけていたのは四文銭の方だそうです。
ついでに調べてみると、四文銭1,000枚で一両になるとか。

「寛永通宝」と聞くと、江戸時代の通貨という気がしますが、何と、昭和二十八年(1953)まで法的には通用していたというから驚きです。
実際に使われていたのは、明治中ごろまでということです。
「大願成就」額の奉納は明治二十六年(1893)とありますから、使わなくなった「寛永通宝」を無駄にせず、御礼に使ったものでしょう。

どんな大願が成就したのかが、額の下の紙に書かれています。

「明治26年(1893)高崎市八幡原町菓子製造業 原田常八氏が、妻女の眼病平癒を当山の本尊七仏薬師如来に祈願したところ、霊験あらたかに快癒し、その御礼参りに「寛永通宝」で上記の文字を書き、御本尊さまに奉納してくれたものです。」

原田常八夫妻の喜びが、伝わってくるようではありませんか。

安楽寺には古銭で書かれた奉納額がもうひとつあります。
大正六年(1917)高崎市菓子商の奉納とありますから、先の原田常八氏と何か関係があるのでしょうか。

こちらは、一厘銭を使っています。

この明治生まれのちっちゃな通貨も、「寛永通宝」と同じく昭和二十八年(1953)まで通用していました。
因みに、一厘銭1,000枚で1円だそうです。
ところが現在、古銭ショップでは900円の値が付いています。
わからんもんですねー。

実は、安楽寺には、もうひとつ立派な献額があるんです。
それは、また次回ということに・・・。(ひっぱりますねー)



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Posted by 迷道院高崎 at 20:27
Comments(4)倉賀野
この記事へのコメント
以前アルバイトをしていた老人ホームで5円玉を使った亀を頂いたことがあります。
お金で何かを作ってまつるのはそういった感謝の心や祈願する所から来ているのでしょうか?
Posted by ぼらぼら  at 2009年05月19日 23:43
>ぼらぼらさん

あ、見たことありますね、5円玉の亀!

お金を奉納できるようになったのは、神仏のおかげ、お客様のおかげということなんでしょうね。
「おかげさまで」という感謝の言葉、日本人ならではのいい言葉だと思います。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2009年05月20日 08:18
Jrさんとは隠れ家で盛り上がりました(笑)。
偶々ですけど、その隠れ家の娘さんも54年生まれということで・・・・・
結婚をテーマにいろいろと。
もうすぐお孫さんの誕生ですね!!

お父上とは違って、人間嫌いではないです(笑)。
Posted by 昭和24歳昭和24歳  at 2009年05月20日 12:19
>昭和24歳さん

お世話になりました。
あ、これからお世話になるんでしたっけ。

私も若い頃は、それほど人間嫌いだとは思ってなかったんですけどね。
最近やっと判ってきたんです。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2009年05月20日 21:29
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大願成就
    コメント(4)