2009年05月17日

穴薬師

倉賀野町の西外れに「安楽寺」というお寺があります。

ちょうど歩道橋があって、その上から撮ったのが左の写真ですが、本堂の後ろに小山のようなものがあります。

この小山は、7世紀後半につくられた横穴式の古墳だそうです。

普通、お寺のご本尊というのは本堂に安置されているものですが、このお寺のご本尊は古墳の石室の壁に掘られた七体の薬師様です。
一般的には「七仏薬師」と呼ばれていますが、穴の中の薬師様なので「穴薬師」と言われることもあるようです。

右の写真を見ると、古墳の横腹に建物が食い込んでいるのがよくわかるでしょう。

「穴薬師」のお姿を見ることができるのは、12年に1度の御開帳の時だけです。
巳年の4月8日と決まっているそうですから、あと4年後ということですね。

4年も待てないという方は、左の写真を見てください。

いつもお世話になっている「あさを社」様のご厚意で、「続・徐徐漂(ぶらり)たかさき」掲載の写真を複写させていただきました。

安楽寺に伝わる話によると、奈良時代の天平九年(737)に、諸国行脚をしていた行基(ぎょうき)という偉いお坊さんが、一夜で七体の薬師様を彫ったと言われています。
真偽の程は分かりませんが、暗い穴の中に七体もの薬師像を彫るには、それなりの理由があったのでしょう。

薬師如来は、東方の「浄瑠璃浄土」に住んでいて、「瑠璃光を以て衆生を病苦から救う」と言われています。

安楽寺の山門には、「瑠璃光殿」と書かれた立派な額が掛けられています。

「瑠璃」とは、深い青色の宝石「ラピスラズリ」のことだそうです。
医薬の無い時代、病に苦しみ暗澹たる思いの人々の前に、瑠璃色の光の中から薬師様が現れたとしたら、どんなに救われることでしょう。
そんな思いが「穴薬師」を刻ませ、行基伝説を生んだのだと思います。

実は、薬師様のおかげで病が治ったという証が、安楽寺には残っているのです。
そのお話は、また次回。



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Posted by 迷道院高崎 at 20:04
Comments(4)倉賀野
この記事へのコメント
倉賀野の安楽寺は行った事ないです。
薬師如来、見たいっすね~。
4年後かぁ~。
ちなみに上大類にも安楽寺ってありますよね。
しかも瑠璃光山。
何か関係あるのかな?
Posted by 弥乃助弥乃助  at 2009年05月17日 21:26
こんばんは。

少しサプライズがあり、
コメント致しました。

以前、迷道院高崎さんが私のブログ上で
平野博司さんをご紹介してくれましたよね。
なんと、ご本人から、当サイトにコメントを
頂きました。

世間は「狭いのか、深いのか」?
有難いことです。
Posted by はるなのフルーツ  at 2009年05月18日 00:03
>弥乃助さん

あー、ありますね。
山号、瑠璃光山でしたか。
もしかすると、ご本尊が薬師如来かもしれませんね。
倉賀野の安楽寺の山号は、巌堂山だそうです。
やはり岩屋をお堂にしているということなのでしょうね。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2009年05月18日 06:51
> はるなのフルーツさん

そうでしたかー!
それは、それは!
直接お目にかかったことはないのですが、高崎のことを調べていると、平野さんに辿り着くことが多いんですよね。
高崎の文化保存には、貴重な方だと思います。
つながり、大切にしたいですね。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2009年05月18日 06:57
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