「萩原の大笠松」というのを、見たことがおありだろうか。
初めて見る人は、その姿が一本の松からなっていることを、俄かには信じられないかも知れない。
高崎・駒形線を駒形方面に向かい、昭和大橋手前の信号を左に入ったところに「萩原の大笠松」はある。
樹齢は推定450年、枝張りは南北18m、東西20.5mだそうである。
こんな大きな松であるが、もとは前橋城主・酒井雅楽頭(さかい・うたのかみ)秘蔵の鉢植えだったという。
それを、この家の祖先八木源左衛門が拝領して庭に植えたところ、ぐんぐん大きくなり、そのために家を3回ほど後ろに退けたというのだから驚きだ。
ここから、利根川に向かっていくと「利根川自転車道」がある。
「江戸川自転車道」を経由して東京ディズニーランドまで行けるという、
170kmの大規模自転車道だ。
逆方向に前橋方面へちょっと行ったところに、「萩原・公田(くでん)の渡し跡」の碑がある。
昭和大橋ができる昭和四十七年(1972)まで、ここに渡し舟があったのである。
渡し舟とは言っても、上毛かるたに「利根は坂東一の川」と詠われる暴れ川のそれである。
とても、ぎっちらこ、ぎっちらこと櫂を漕いだり、棹をさしてという訳にはいかない。
両岸から綱を張って、それを手で手繰りながら渡っていたという。
自転車道の脇に、コンクリート製の基礎のようなものがある。
もしかすると、これが綱を張った支持物なのだろうか?
それにしては、川からずいぶん離れているので、違うかも知れない。
もっとも、昔はもっと水量が多く、川幅一町四十間(約180m)、水深三丈(約9m)あったと石碑には書いてある。
明治十年(1877)頃には、舟12艘を並べた上に板を敷いて「舟橋」にしたこともあるが、度重なる流失で結局渡し舟に戻したようだ。
東京には、今でも渡し舟が活躍している所がある。
江戸川の葛飾柴又から千葉県松戸市をつなぐ「矢切りの渡し」である。
片道100円で住民の生活渡船となっているばかりか、観光の目玉スポットとして多くの人の心を惹き付けている。
細川たかしのヒット曲のおかげもあるかも知れないが。
高崎の萩原町は、その昔、新潟と江戸をつなぐ三国古道の道筋にあった。
三国古道は、倉賀野・高崎を通る現在の三国街道が表街道になってからは、佐渡金山奉行や流人など、人目を避ける人々の通る裏街道として利用されたらしい。
この辺りの自転車道を「三国古道自転車道」とでも命名し、もういちど、「公田の渡し」を復元したら、歴史好きの人を呼び込めると思うのだが・・・。
初めて見る人は、その姿が一本の松からなっていることを、俄かには信じられないかも知れない。
高崎・駒形線を駒形方面に向かい、昭和大橋手前の信号を左に入ったところに「萩原の大笠松」はある。
樹齢は推定450年、枝張りは南北18m、東西20.5mだそうである。
こんな大きな松であるが、もとは前橋城主・酒井雅楽頭(さかい・うたのかみ)秘蔵の鉢植えだったという。
それを、この家の祖先八木源左衛門が拝領して庭に植えたところ、ぐんぐん大きくなり、そのために家を3回ほど後ろに退けたというのだから驚きだ。
ここから、利根川に向かっていくと「利根川自転車道」がある。
「江戸川自転車道」を経由して東京ディズニーランドまで行けるという、
170kmの大規模自転車道だ。
逆方向に前橋方面へちょっと行ったところに、「萩原・公田(くでん)の渡し跡」の碑がある。
昭和大橋ができる昭和四十七年(1972)まで、ここに渡し舟があったのである。
渡し舟とは言っても、上毛かるたに「利根は坂東一の川」と詠われる暴れ川のそれである。
とても、ぎっちらこ、ぎっちらこと櫂を漕いだり、棹をさしてという訳にはいかない。
両岸から綱を張って、それを手で手繰りながら渡っていたという。
自転車道の脇に、コンクリート製の基礎のようなものがある。
もしかすると、これが綱を張った支持物なのだろうか?
それにしては、川からずいぶん離れているので、違うかも知れない。
もっとも、昔はもっと水量が多く、川幅一町四十間(約180m)、水深三丈(約9m)あったと石碑には書いてある。
明治十年(1877)頃には、舟12艘を並べた上に板を敷いて「舟橋」にしたこともあるが、度重なる流失で結局渡し舟に戻したようだ。
東京には、今でも渡し舟が活躍している所がある。
江戸川の葛飾柴又から千葉県松戸市をつなぐ「矢切りの渡し」である。
片道100円で住民の生活渡船となっているばかりか、観光の目玉スポットとして多くの人の心を惹き付けている。
細川たかしのヒット曲のおかげもあるかも知れないが。
高崎の萩原町は、その昔、新潟と江戸をつなぐ三国古道の道筋にあった。
三国古道は、倉賀野・高崎を通る現在の三国街道が表街道になってからは、佐渡金山奉行や流人など、人目を避ける人々の通る裏街道として利用されたらしい。
この辺りの自転車道を「三国古道自転車道」とでも命名し、もういちど、「公田の渡し」を復元したら、歴史好きの人を呼び込めると思うのだが・・・。
【萩原の大笠松】
【公田の渡し跡】