2009年05月04日

大笠松と渡し舟

大笠松と渡し舟「萩原の大笠松」というのを、見たことがおありだろうか。

初めて見る人は、その姿が一本の松からなっていることを、俄かには信じられないかも知れない。

高崎・駒形線を駒形方面に向かい、昭和大橋手前の信号を左に入ったところに「萩原の大笠松」はある。
樹齢は推定450年、枝張りは南北18m、東西20.5mだそうである。

こんな大きな松であるが、もとは前橋城主・酒井雅楽頭(さかい・うたのかみ)秘蔵の鉢植えだったという。
それを、この家の祖先八木源左衛門が拝領して庭に植えたところ、ぐんぐん大きくなり、そのために家を3回ほど後ろに退けたというのだから驚きだ。

大笠松と渡し舟ここから、利根川に向かっていくと「利根川自転車道」がある。
「江戸川自転車道」を経由して東京ディズニーランドまで行けるという、
170kmの大規模自転車道だ。

逆方向に前橋方面へちょっと行ったところに、「萩原・公田(くでん)の渡し跡」の碑がある。

昭和大橋ができる昭和四十七年(1972)まで、ここに渡し舟があったのである。

渡し舟とは言っても、上毛かるたに「利根は坂東一の川」と詠われる暴れ川のそれである。
とても、ぎっちらこ、ぎっちらこと櫂を漕いだり、棹をさしてという訳にはいかない。
両岸から綱を張って、それを手で手繰りながら渡っていたという。

大笠松と渡し舟自転車道の脇に、コンクリート製の基礎のようなものがある。

もしかすると、これが綱を張った支持物なのだろうか?
それにしては、川からずいぶん離れているので、違うかも知れない。

もっとも、昔はもっと水量が多く、川幅一町四十間(約180m)、水深三丈(約9m)あったと石碑には書いてある。

明治十年(1877)頃には、舟12艘を並べた上に板を敷いて「舟橋」にしたこともあるが、度重なる流失で結局渡し舟に戻したようだ。

大笠松と渡し舟東京には、今でも渡し舟が活躍している所がある。
江戸川の葛飾柴又から千葉県松戸市をつなぐ「矢切りの渡し」である。

片道100円で住民の生活渡船となっているばかりか、観光の目玉スポットとして多くの人の心を惹き付けている。
細川たかしのヒット曲のおかげもあるかも知れないが。

高崎の萩原町は、その昔、新潟と江戸をつなぐ三国古道の道筋にあった。
三国古道は、倉賀野・高崎を通る現在の三国街道が表街道になってからは、佐渡金山奉行や流人など、人目を避ける人々の通る裏街道として利用されたらしい。

この辺りの自転車道を「三国古道自転車道」とでも命名し、もういちど、「公田の渡し」を復元したら、歴史好きの人を呼び込めると思うのだが・・・。

【萩原の大笠松】


【公田の渡し跡】


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Posted by 迷道院高崎 at 07:51
Comments(2)◆高崎探訪
この記事へのコメント
大松、すごいですよね。 近くに色んな歴史跡が残っているのですね。勉強になります!         境町の渡しはまだ健在のようです(^-^)       矢切の渡しは何回観ても口ずさみたくなる風情があります(^^ゞ柴又大好きです!          そんな風情 おらが街にも残したいですね!
Posted by ぼらぼら  at 2009年05月04日 08:57
>ぼらぼらさん

あ、島村の渡しですね。
この間、利根川自転車道を通って坂東大橋まで行ってきましたよ。

高崎市も「残す大切さ」に、もっと目覚めて欲しいのですがね。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2009年05月04日 09:27
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大笠松と渡し舟
    コメント(2)