2020年09月06日

史跡看板散歩-204 町屋井堰之碑

「諏訪神社」から街道へ出て「町屋橋」の方へ少し行くと、「宝福寺」の前に出ます。
史跡看板散歩-204 町屋井堰之碑
そこに、「町屋井堰之碑」が建っています。

史跡看板もそこに建っているのですが、私の悪い癖で、その隣のお堂の方に気がいってしまうのです。
史跡看板散歩-204 町屋井堰之碑

特に、そのお堂の通りに面して掲げられている看板に。
史跡看板散歩-204 町屋井堰之碑
さて、これはいったい何の看板なのか。
地元の商店名を並べてあるのかなと思いましたが、県外の店もあれば個人名もあります。
お堂を建てた時の寄進者なんでしょうか。
描いてある絵も、茄子なのか、唐辛子なのか、インゲンなのか・・・。

いい暫く看板を眺めていたのですが、そうしていると不思議なもんで、うっすらと文字が見えてきたのです。
史跡看板散歩-204 町屋井堰之碑
「・・・外燈建設・・・」と読み取れます。

なるほど、絵は外燈のランプとその明かりを表現しているようです。
きっと、この通りに外燈を建設した記念に、その寄附者か何かを掲示した看板なんでしょうね。

きっともうすぐ退色して読めなくなってしまうでしょうから、今の内に書き残しておきましょう。
丸千青物店 沖町
薫風園 観葉植物
小川美術染物 町屋町
岡田正太郎
建設業
町屋町
広瀬洋服店 町屋町
櫻井商店 町屋町
大塚養魚場 町屋町
クリーニング店織茂   沖町
湯浅二郎 東京新聞
浦野畜産 箕郷町
可ん寅 名古屋
千曲社
高崎出張所
長野県
五十鈴製絲
前橋出張所
三重県
木村屋パン店 市内本町
中山房吉 熊ケ谷市
須田屋洋品店 沖町
住吉屋菓子店 沖町
広瀬農材店 沖町
十一屋酒店 沖町
江刕屋商店 沖町
大久保薬店 沖町
魚広 沖町
清水自転車店 沖町

お堂は「観音堂」だそうで、その脇に隠れるように石造物が建っています。
史跡看板散歩-204 町屋井堰之碑
史跡看板散歩-204 町屋井堰之碑
ふ~ん。

あ、忘れてました「町屋井堰之碑」でした。
史跡看板散歩-204 町屋井堰之碑

「町屋井堰」というのは、町屋町への用水の取水堰のことらしいです。
ただ、「コンクリート製の井堰」というのがよく分かりません。
どんなものか見てみたいと思ったのですが、取水口の場所だという「町屋町字大笠43番地」というのも分かりません。

「宝福寺」近辺のお宅を訪ねてお聞きしたのですが、みなさんご存じないと言います。
4軒目のお宅で、ようやくご存知の方がいらっしゃいました。
「烏川の土手をずっと上流へ行くと、川へ下りる道があるんだよ。
大きい銀杏の木の所にある。」

言われたとおり、土手を上流へ向かってしばらく歩いたのですが、それらしい所はありません。

畑作業している方に、もう一度お聞きしました。
「あぁ、もっとずっと先だよ。
だけど、コンクリートの四角い桝があるだけだよ。
それに、ロップが張ってあってそこまで行けないよ。
造園業の人の私有地になってるし。」

ということなので、この日は行くのを諦めました。

家に帰って来てから、中島正義氏作成の「高崎の字図」を見てみたのですが、「大笠」という字はありません。
ただ、「大サカ」という字が町屋町の外れ、まさに烏川の上流にあります。
史跡看板散歩-204 町屋井堰之碑
もしかすると、ここが「大笠」なのではないかと思いました。

そう思ったら、もう矢も盾もたまりません。
翌日、その近くまで車で行き、土手から下りる道を見つけて下りてみました。
すると、コンクリートの枡がありました。
これが「井堰」か?
水路もあって、町屋町の方向へ流れています。
史跡看板散歩-204 町屋井堰之碑
一瞬喜んだのですが、どう見ても、あの大きな記念碑を建てるほどの代物ではありません。
それに、川からも離れすぎています。

もっと川の近くまで行ってみようと、木々の間を進んで行くと、たしかに立ち入り禁止のロープが張られていました。
しかも、胸ほどの高さの草が生い茂っていて、進むことができません。

しかたなく土手上に戻って来たものの、どうにも諦めきれずに、大きく迂回してみました。
すると、遠目に水色の水門のようなものがチラッと目に入りました。
土手を下りて、本当はいけないのかも知れませんが、桃畑の中を進んで行くと・・・、なんと、あるじゃありませんか!
史跡看板散歩-204 町屋井堰之碑
伐り倒そうとしたのか斧痕の残る銀杏の木の向こうに、水門のハンドルの付いたコンクリートの枡が。
間違いありません。

上から覗くと、けっこう深くて、井戸のようです。
だから「井堰」なんですね。
史跡看板散歩-204 町屋井堰之碑

「井堰」のすぐ向こうは、烏川です。
史跡看板散歩-204 町屋井堰之碑
史跡看板散歩-204 町屋井堰之碑

取水するための立派な堰堤がありました。
史跡看板散歩-204 町屋井堰之碑

「町屋井堰之碑」から直線距離で1kmちょっと、ようやく探し当てた「町屋井堰」でした。


【町屋井堰之碑】

【町屋井堰】





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この記事へのコメント
いつも楽しく拝見させて頂いています。

井堰、私も探していたのですが、私有地っぽいので諦めていたところで、まさかここに!どんな堰なのか謎が解けて感動です。珍しいものを有難うございました。
Posted by 南瓜  at 2020年09月07日 04:57
>南瓜さん

理性が好奇心に勝てず、勝手に人の土地へ入り込んでしまいました(^^ゞ
お叱りを頂いたら、謹んでお詫び申し上げようと思っております。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2020年09月07日 12:40
突然失礼します。いつも楽しみに拝見しております。
本題からは外れますが、地域的に近づいてきたのでどうしてもお知らせておきたいことがありまして…
高崎観音に先駆けて製作された本郷大仏あるいは菊間大仏というものをご存じでしょうか?
昨年5月にツイッターで話題になっていた昭和初期のコンクリート大仏の調査に関わらせていただきました。
詳しくは下記の記事を。

追記しました!《完結》【まさかの展開】「ビジュアルがヤバい大仏さまを捜しています。」この大仏はどこに、いつまであったのか。一枚の古い絵葉書から場所、時代を特定せよ!【集合知】 - Togetter https://togetter.com/li/1344696

菊間大仏雑感 ー歴史に消えた謎の大仏と、突如姿を現した仏師・福崎日精ー | コンクリート像を見にゆきます(仮) http://shounkonkurikobo.blog.fc2.com/blog-entry-70.html

大体の経緯は見えてきたのですが私の調査力やまとめ上げる力の不足によりこれ以上の情報は得られずという感じです。

もし興味がおありでしたら貴ブログで取り上げていただき、更なる進展があれば大変有難いです。

不躾なお願いですがご検討いただければ幸いです。
Posted by たまごとじ  at 2020年09月08日 19:19
>たまごとじさん

私の先祖が本郷の出でして、墓地もそこにあります。
なので、私も遠目にですが大仏像を見ています。
たしか、昭和60年くらいまではあったように思うのですが。
場所は、コメントにあるサイトでも書かれていましたが、「オリエント」というホテルのある所です。

ちょっとうろ覚えなんですが、上毛かるたの中に入れられる案もあったと聞いた気がします。
当時、こんなブログを書くことになるとわかっていたら、もっと興味を以て記録しておいたのですが。

たまごとじさんのコメントを機に、いつか記事にしたいと思います。
ありがとうございました。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2020年09月08日 21:19
ありがとうございます。
ご存知だったんですね。
割と最近まで存在したのに絵葉書以外の写真すら見つからないし、このまま忘れ去られる前に記録しておきたいとは思うんですが、ぜひ迷道院高崎様の調査力でよろしくお願いいたします。
Posted by たまごとじ  at 2020年09月08日 22:01
>たまごとじさん

いやー、私の調査力など知れたものですが、心に留めておきます。
思い続けていると、不思議なことに、ある時突然思いがけぬところから情報が飛び込んで来ることがあるものです。
そんな奇跡に期待しましょう。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2020年09月09日 20:00
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