久しぶりに、「米百俵コンサート」以外の記事を書く。
今日のタイトルは
「倉賀野・歌謡・めなおし薬師」。
何だか、落語の三題話のようであるが・・・。
3月24日の記事、「三尸の虫(さんしのむし)」の「北向庚申」から倉賀野方面に進むと、旧中山道の信号に出る。
↑道の向こう側を見ると、「勘定奉行 小栗上野介忠順公と埋蔵金ゆかりの地」と書かれた、立派な石柱が建っている。
「・・・埋蔵金ゆかりの地」というのが気になって、「倉賀野資料館」とやらに入りたいと思ったが、シャッターが閉まっていた。
同じ建物の「若草歌謡音楽学院」のドアを開けて、ご主人らしき人に聞いてみると、「倉賀野資料館」はもう閉鎖されているとのこと。
埋蔵金とどんなゆかりがあるのか、分からずじまいであった。
食い違い交差点を南に曲がると、「米百俵コンサート」会場に借りられなかった「人権プラザ」がある。
その前を東に入る道の角に、「めなおし薬師」と書かれた看板が目にとまる。
ガイドブックには出ていない薬師様だ。
看板の矢印に従って進んでいくと、通り過ぎてしまいそうな所に「めなおし薬師如来入口」の石柱が建っている。
だが、そこには薬師様らしきものはなく、あるのは「おんなの命」という、歌詞の書かれた石碑である。
入口とあるから、この奥にあるのかとは思うが、どう考えても民家の庭である。
及び腰で、恐る恐る入ってみると、あった、あった。
おや?由来が書かれた石碑の最後に、「施工 倉賀野資料館」とある。
そういえば、入口にあった「おんなの命」という歌謡曲の歌詞碑と趣意書碑。
この家の主、木闇さんも歌謡音楽の指導をしている。
ははー、そういう繋がりだったのか。
傍らの草むらに、「左の八っ目の穴から覗いて下さい」という木札があった。
左には石板に「め」という字が八つ刻まれ、その上に目の形をした穴が開いている。
←その穴から覗くと、こんなものが見える。
そう、薬師様のお顔だ。
粋な仕掛けである。
今でも生きる、宿場町の粋な心の名残りだろうか。
倉賀野町の歴史的文化財も、放っておけば消えてしまう。
粋な人たちの思いを集め、残していってほしいと願う。
今日のタイトルは
「倉賀野・歌謡・めなおし薬師」。
何だか、落語の三題話のようであるが・・・。
3月24日の記事、「三尸の虫(さんしのむし)」の「北向庚申」から倉賀野方面に進むと、旧中山道の信号に出る。
↑道の向こう側を見ると、「勘定奉行 小栗上野介忠順公と埋蔵金ゆかりの地」と書かれた、立派な石柱が建っている。
「・・・埋蔵金ゆかりの地」というのが気になって、「倉賀野資料館」とやらに入りたいと思ったが、シャッターが閉まっていた。
同じ建物の「若草歌謡音楽学院」のドアを開けて、ご主人らしき人に聞いてみると、「倉賀野資料館」はもう閉鎖されているとのこと。
埋蔵金とどんなゆかりがあるのか、分からずじまいであった。
食い違い交差点を南に曲がると、「米百俵コンサート」会場に借りられなかった「人権プラザ」がある。
その前を東に入る道の角に、「めなおし薬師」と書かれた看板が目にとまる。
ガイドブックには出ていない薬師様だ。
看板の矢印に従って進んでいくと、通り過ぎてしまいそうな所に「めなおし薬師如来入口」の石柱が建っている。
だが、そこには薬師様らしきものはなく、あるのは「おんなの命」という、歌詞の書かれた石碑である。
入口とあるから、この奥にあるのかとは思うが、どう考えても民家の庭である。
及び腰で、恐る恐る入ってみると、あった、あった。
おや?由来が書かれた石碑の最後に、「施工 倉賀野資料館」とある。
そういえば、入口にあった「おんなの命」という歌謡曲の歌詞碑と趣意書碑。
この家の主、木闇さんも歌謡音楽の指導をしている。
ははー、そういう繋がりだったのか。
傍らの草むらに、「左の八っ目の穴から覗いて下さい」という木札があった。
左には石板に「め」という字が八つ刻まれ、その上に目の形をした穴が開いている。
←その穴から覗くと、こんなものが見える。
そう、薬師様のお顔だ。
粋な仕掛けである。
今でも生きる、宿場町の粋な心の名残りだろうか。
倉賀野町の歴史的文化財も、放っておけば消えてしまう。
粋な人たちの思いを集め、残していってほしいと願う。
【旧「倉賀野資料館」】
【めなおし薬師】