少林山通りを安中方面へ行くと、「鼻高展望花の丘」へ別れる信号があります。
その角にあるのが、「鼻高天満宮」です。
さすが天神様を祀る「天満宮」。
石段の途中に梅の種が・・・。
あれ、史跡看板、ここ?!
みなさん、分かりました?左側の植え込みの陰です。
これじゃ、読めないじゃありませんか。
枝を手で掻き寄せ、苦労して写真に収めました。
「天満宮」と「菅原道真」については、社殿の横っ腹に詳しい説明板が掛っています。
難しい漢字には仮名が振ってあって、親切です。
社殿の後ろへ回ると、「飛梅」ならぬ「落梅」がいっぱい。
熟した実の、いい香りが漂っています。
境内には「鼻高の石造物」という看板、そして立派な「地蔵和讃碑」が建っています。
碑の隣には、沢山のお地蔵様が捉えられて檻の中に入れられています。
銘版の文字が小さくてちょっと読みにくいので、書き出してみました。
あぁ、檻じゃなくてお堂だったんですね。
失礼いたしました。
その地蔵堂の右に、石造物がずらっと並んで建っています。
ひときわ大きな庚申塔は、少林山達磨寺九代住職・東嶽和尚の筆だそうです。
小さいながらも、しっかりと鼻高の地を見守ってくれている「鼻高天満宮」でした。
その角にあるのが、「鼻高天満宮」です。
さすが天神様を祀る「天満宮」。
石段の途中に梅の種が・・・。
あれ、史跡看板、ここ?!
みなさん、分かりました?左側の植え込みの陰です。
これじゃ、読めないじゃありませんか。
枝を手で掻き寄せ、苦労して写真に収めました。
「天満宮」と「菅原道真」については、社殿の横っ腹に詳しい説明板が掛っています。
難しい漢字には仮名が振ってあって、親切です。
社殿の後ろへ回ると、「飛梅」ならぬ「落梅」がいっぱい。
熟した実の、いい香りが漂っています。
境内には「鼻高の石造物」という看板、そして立派な「地蔵和讃碑」が建っています。
碑の隣には、沢山のお地蔵様が捉えられて檻の中に入れられています。
銘版の文字が小さくてちょっと読みにくいので、書き出してみました。
「21世紀 愛と心 結ぶお地蔵さま」 | ||
お地蔵さまは地上に現出してあらゆる人々を救護してくださる菩薩様です。 | ||
特に子供の守り本尊であります。一心に拝む心がご利益を授けてくださいます。 | ||
子供達に「健康と、やさしい心、すなおな心」・・・お地蔵さまはいつもにこにこ見てござる。 | ||
お地蔵さまは江戸中期頃碓氷川近くの上川原に建立され、あたりはお米がいっぱい取れ、畔道には花が咲き・・・子供達の遊ぶ声がするのどかな場所でした。 天満宮の近くでは、仲よく、醤油を作り、笑う声が聞こえ・・・その風景をにこにこと・・・お地蔵さまが見守っていてくれました。 |
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しかし、時が流れ子供のころ手を合わせたその場所に行って見たら、お堂も無く、お地蔵さまは土にうもれ首も取れて、そのお姿は大変あわれでした。 そこで私達は修復し鉄のお堂を作り、昭和45年12月末日に長伝寺住職の師にあたる、能登本山総持寺祖院監院黒杉道院老師のもと、上鼻高町内の有志で盛大なる法要を営みました。 |
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その後年月が過ぎ鉄のお堂が古くなったので、ハイレベルな技術でお堂を再建いたしました。歴史あるお地蔵さまに心より手を合わせ、町の発展と子供達の守り本尊として、後世に伝えていきたいと願うものであります。 | ||
平成15年7月24日 施主 深堀誠 |
失礼いたしました。
その地蔵堂の右に、石造物がずらっと並んで建っています。
ひときわ大きな庚申塔は、少林山達磨寺九代住職・東嶽和尚の筆だそうです。
小さいながらも、しっかりと鼻高の地を見守ってくれている「鼻高天満宮」でした。
【鼻高天満宮】