2020年06月14日

史跡看板散歩-192 藤塚の皇大神宮

「藤塚の浅間神社」から板鼻方面へ約450m、道路から一段低い所に「天照皇大神宮」(てんしょう・こうたいじんぐう)の社があります。
史跡看板散歩-192 藤塚の皇大神宮

史跡看板は、社のすぐ前に建っています。
史跡看板散歩-192 藤塚の皇大神宮
史跡看板散歩-192 藤塚の皇大神宮

社に向かって右に建っているのが「洪水記念之碑」
史跡看板散歩-192 藤塚の皇大神宮
史跡看板では「洪水祈念・・・」になっていますが、洪水を祈念しちゃいけません。
これはちょっとまずい誤字ですね。

この洪水を小学二年生で体験した吉田良太郎氏の回顧談が、「高崎の散歩道第十集」に載っています。
この年は八月上旬毎日雨模様の天気で、地面が本当に湿っていた。
そのうえ十二日からは豪雨となり、まる一日降り続いた。
そのため十三日の夜明け近く上流に降った雨水を集めた碓氷川は、急激に増水し河原いっぱいに広がったと思う間もなく、堤防を乗り越えた濁流は中山道に押しよせ、道が碓氷川本流のようになって藤塚村を襲ったのであった。
私の家は当時中山道の南側にあったが、この濁流は家々を見るまに呑み込んでしまい、隣のおしんこ屋(米の粉でおしんこを作り、赤黄の色付けをしたお菓子)は見ている間に家人もろとも流されてしまった。
たまたま二階家で当時としては比較的大きい家だった私の家へ近所の人々が助けを求めてやって来た。
増水するにしたがいみんな二階へ避難した。
しかし勢いづいた濁流はみるみる中に床下から畳を持ち上げ、一階の天井近くまで水につかってしまった。
やがて朝明けと共に雨も小やみになり水勢はいくらかやわらいだようだ。
階段口(二階)より村の他五朗さんが深さを測ろうとして竹竿を下へおろした所、途中でつかえて下に行かない。
他五郎さんが『大丈夫だぞ、泥が下にたまってこの家は助かるぞ』とこれを聞き、みんな狂喜するのだった。
時間が過ぎると水もひけたので、二階から下りながら一階天井近くまで埋まった泥の中を、天井に頭をぶつけながらはいまわった。」

そしてその10年後、藤塚村はまたもや洪水に襲われます。
今度は大雨ではなくて、地滑りが原因でした。
そのことを記しているのが、「射水神」碑です。
史跡看板散歩-192 藤塚の皇大神宮
どんなことが碑に刻まれているのかは、過去記事をご参照ください。
  ◇藤塚の洪水碑

ところで、「射水神」ってどんな神様なんでしょう。
富山県に射水市という町があり、その隣町の高岡市に「射水神社」というのがあるそうです。
現在「射水神社」の祭神は「ニニギノミコト」ですが、古くは高岡市と氷見市にまたがる「二上山」(ふたがみやま)をご神体とする「二上神」(フタガミノカミ)だったそうです。
その「二上神」を祖神とするのが、「伊弥頭国造」(いみづのくにのみやつこ)という豪族だったと言います。

ということで、どうやら「射水神」という神様はいないようなのです。
ただ、「射水(いみず)」「出ずる水」=「洪水」とも取れますし、字面からは「水を射る」=「水をやっつける」とも取れところから、「水を司る神」として村を洪水から護ってほしいという思いで「射水神」としたのかも知れません。

さて、大正九年(1920)の洪水は、地滑りの土砂が碓氷川を堰き止めたのが原因だった訳ですが、昭和の半ばになって妙な地滑りがこの辺りに起きました。
過去記事でご覧ください。
  ◇隆起した国道18号

「天災は忘れた頃にやってくる」
近頃は、「疫病は忘れたコロナやってくる」と言われているとかいないとか。


【天照皇大神宮】





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