2020年06月07日

史跡看板散歩-191 藤塚の浅間神社

国道18号線を挟んで、藤塚「一里塚」「浅間神社」が向きあっています。
史跡看板散歩-191 藤塚の浅間神社

今回は、「浅間神社」の方です。
史跡看板散歩-191 藤塚の浅間神社
史跡看板散歩-191 藤塚の浅間神社

ここからは浅間山が良く見えるので、「あさま神社」かと思いきや、富士山「せんげん神社」です。
史跡看板散歩-191 藤塚の浅間神社

Wikipediaには、こんな記述があります。
  「浅間」の語源については諸説あるが、長野県の浅間山のように火山を意味するとされる。
「あさま」は古い呼称で、現在の「せんげん」は中世以降から用いられたと見られている。

「富士浅間神社」の祭神が「木花咲夜姫」(コノハナサクヤヒメ)ということで、社殿の中に姫の絵が掛かっています。
史跡看板散歩-191 藤塚の浅間神社

なぜ「富士浅間神社」の祭神が「木花咲夜姫」なのかというのも、Wikipediaに書いてあります。
富士山の神霊をコノハナノサクヤヒメに当てる起源は明らかでないが、文献の初見は江戸時代初期の『集雲和尚遺稿』である。
「コノハナ(木花)」は桜の古名といわれ、祭神は富士山の美貌の形容に由来するとされる。
また、神話にある「コノハナノサクヤヒメの火中での出産」も、火にまつわる事象として意識されたと見られる。」

「浅間神社」のある塚は、もともとが「一里塚」の片方だった訳ですから、塚の上には椋の木が立っていたはずです。
「豊岡誌」によると、藤塚の住人が「富士浅間神社」の神霊を勧請したのは、元禄期だったとあります。
場所も何度か北へ北へと移動して、今の位置になったのは、国道が拡幅された昭和六十三年(1988)のことです。
拡幅前の一里塚と浅間神社の姿が「豊岡誌」に載っていました。
史跡看板散歩-191 藤塚の浅間神社

向かい側にある「一里塚」については、過去記事をご覧ください。
   ◇藤塚の一里塚

では、本日はこの辺で。


【藤塚の浅間神社】





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