2019年07月28日

史跡看板散歩-150 月波神社

前回記事「治尾の牧」の史跡看板から西へ240mほど行くと、「月波神社」(つきなみじんじゃ)参道入り口の石段があります。
史跡看板散歩-150 月波神社

大きな石灯籠。
史跡看板散歩-150 月波神社
嘉永五年(1852)と刻まれています。

石段を上ると、一の鳥居。
史跡看板散歩-150 月波神社

その先にある二の鳥居。
史跡看板散歩-150 月波神社
額は「月並神社」となっています。

さらに進むと、県道・新井下室田線が参道を横切っています。
手前の庚申塔を、きれいな紫陽花が彩っていました。
史跡看板散歩-150 月波神社

県道を渡って、踏み面のやけに狭い急な石段を上ったところに、史跡看板が建っています。
史跡看板散歩-150 月波神社
史跡看板散歩-150 月波神社

「車持君」(くるまもちの・きみ)は、「上毛野君」(かみつけのの・きみ)と同じ「豊城入彦命」(とよき・いりひこの・みこと)を祖先に持ち、雄略天皇の代に乗輿(じょうよ:天皇の乗り物)を供進(献上)したため「車持公」という姓(かばね)を賜ったという人らしいです。
史跡看板散歩-150 月波神社
史跡看板散歩-150 月波神社

その子孫だという「風の三郎」という人物ですが、坂上田村麻呂の時代にしてはやけに洒落た名前です。
「箕郷町誌」には、里伝としてこう書かれています。
里伝ニ昔時勘解由三郎ナル者ココニ居リ、上野君某ニ仕ヘ善知ノ姓ヲ賜ワル、後坂上田村麻呂ニ属シテ京師ニ趨(赴)ク、土人氏ノ姓ヲ慕フテ村名トナスト云、本村車持社ハ善知氏ノ始祖ヲ祀リシ者ト云、上野伝説雑記国君王紀ニ群馬郡・善地トアリ」
ということで、「風の三郎」でなく「勘解由(かげゆ)の三郎」となっています。
音は何となく似ています・・・。

「勘解由」というのは「勘解由使」(かげゆし)の略で、国司交替の際に前任者が交替完了の証明のため発給して後任者に与える「解由状」(げゆじよう)の「勘査」を行う役人だそうです。
前任国司は「解由状」が受理されて初めて次の官職に就くことができるのですが、前・後任国司の利得の調整で揉めてしまって、後任国司が「解由状」を受け取らないことも多かったらしいです。
「勘解由使」はその正否の判断をするのですから、重要な役目なんですね。

また、「善知」という姓は、看板では坂上田村麻呂から賜ったように書いてありますが、「箕郷町誌」では上毛野君からとなっていますし、「善知」田村麻呂に属したのも京師(けいし:京都)に行ってからということで、少し食い違いがあります。

ま、いずれにせよ、そんな由緒ある「月波神社」なんですが、境内は荒れていました。
史跡看板散歩-150 月波神社
史跡看板散歩-150 月波神社

社殿のすぐそばに丸太の蜂胴が置いてあって、蜂がブンブン飛んでますし。
史跡看板散歩-150 月波神社

米粒が入るとご利益があるという「十三重の塔」の穴の中にも、たぶん巣があるんでしょう、大群が塔を取り囲み、恐くて近づけません。
史跡看板散歩-150 月波神社

社殿の彫刻は素晴らしいんですがね。
史跡看板散歩-150 月波神社
史跡看板散歩-150 月波神社

拝殿の中に、こんな写真が飾られてました。
史跡看板散歩-150 月波神社
「群馬松」、県の名称と関係あるらしいです。
番外編で取り上げてみたいと思っています。

帰ろうとすると、ユニークな表情の狛犬が、見送ってくれました。
わっはっは!
史跡看板散歩-150 月波神社

いっひっひ。
史跡看板散歩-150 月波神社



【月波神社】





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