2019年03月17日

史跡看板散歩-133 宗止池

高崎環状線下小鳥町西の信号から浜川方面へ1.3kmほど行くと、左手に大きな石碑と貯水池があります。
史跡看板散歩-133 宗止池

その貯水池が「宗止池」(そうしいけ)で、石碑の近くに史跡看板が建っています。
史跡看板散歩-133 宗止池

まず気になったのは、「宗止池」という名前です。
史跡看板には、その由来をうかがわせる記述はありません。
石碑の方はどうだろうと思いましたが、こちらは「溜池」となっていて、碑文にも「宗止池」の文字はありません。
史跡看板散歩-133 宗止池

池の周りに何か手掛かりはないかと一回りしてみましたが、何もありません。
鳥よけらしい池のカカシと、それを気にもしてなさそうな水鳥にも聞いてみましたが、知らんぷりです。
史跡看板散歩-133 宗止池

釣りをしている方々に聞いてみると、「相川さんなら知ってるんじゃねぇか?」ということです。
看板に「時の名主相川浅右衛門が・・・」とある、その相川氏のご子孫らしいので、早速行ってみました。

突然の訪問にもかかわらず、嫌な顔一つせずにお話をして下さいました。
「昔は『堤』って呼んでたんだよ。『上小鳥の堤』ってね。
 登記簿にはね、『宗祉池』って書いてあるよ。」


あ、「止」じゃなく「祉」(祉の異体字)だったんですね。
どこかで、示偏が取れちゃったらしいです。
ただ、「宗祉」がどういう意味なのかについては、相川さんもご存じありませんでした。

辞書を引いてみても「宗祉(祉)」という熟語はないのですが、単漢字でみると、「祉(祉)」には「幸い」とか「神の恵み」という意味があるようです。
また、「宗」には「祖先」という意味もあるらしいです。
だとすると、「宗祉(祉)」「祖先からの恵み」という意味に取れなくもありません。

あとは、ぼっとして(上州弁:もしかして)、室町時代の連歌師・飯尾宗祇(いいお・そうぎ)の「宗祇」を、誤って「宗祉」と書いてしまったのではないかとも・・・。

吉永哲郎氏が、「高崎新聞」のコラムにこんなことを書いています。
(宗祇の)弟子の宗長の紀行文『東路の津登・宗祇終焉記』に、(宗祇は)信濃国で倒れ、養生のため草津・伊香保への途中、浜川に20日程逗留、その後80余歳の病身宗祇は箱根へと旅します。
この時代、浜川から中豊岡、碓氷川を渡る、右岸山沿いの古道(平井城、沿道には多くの寺院があった)を、弟子に介護されて、宗祇は箱根を目指したのではと、私は考えています。」
濱河といふ所に、松田加賀守、法体して宗繁、この十年余り言ひかはし侍り。八九年の先の年、宗祇、北路よりあひ伴ひしに、信濃路より例ならざりしに、この所にて廿日余り逗留。(東路の津登)
同じき国に伊香保といふ名所の湯あり。中風のために良しなど聞きて、宗祇はそなたに赴きて、二方に成ぬ。此湯にて煩ひそめ、湯に下るゝ事もなくて、五月の短夜をしも明かし侘ぬるにや、(宗祇終焉記)

宗祇が20日間逗留したという「浜川」は、「宗祉池」のある「上小鳥」に接するすぐ北隣の町です。
史跡看板散歩-133 宗止池

高い教養を持つ先人のこと、故事に因んで「宗祇池」と命名しても不思議はなさそうです。

もっと言えば、山口素堂(やまぐち・そどう)という人の句に、「髭宗祇 池に蓮ある 心かな」というのがあって、切りようによっては「宗祇池」という語が読み取れます。
宗祇という人は終生髭(ひげ)を愛で伸ばしていたので、「宗祇が髭を愛したように、私は池の蓮を愛している」という意味。

さて、「宗祉池」の真実や如何。
ご存知の方がいらっしゃいましたら、ぜひご教示のほどを。

もう一つ看板の中で気になったのが、「宗祉池」の水は「十二早川」から引いたと書いてあることです。
石碑にも、そう刻まれています。
上の地図を見ても分かるように、「宗祉池」の水は「早瀬川」から引かれています。
「早瀬川」は、別名「十二堰」(じゅうにぜき)とも言いますので、「十二早川」と呼ばれたこともあるのでしょうか。

「宗祉池」から水路を430mほど遡ったここが、「早瀬川」からの取水口です。
水門の銘版には、「上小鳥用水樋管ゲート」とあります。
史跡看板散歩-133 宗止池

ここまで来たら、この「早瀬川」「白川」から分水される取水口も見たくなって、足を延ばしました。

「宗祉池」の取水口から北西約4km、「箕郷ふれあい公園 いこい広場」の所に、「十二堰(早瀬川)」の取水口があります。
史跡看板散歩-133 宗止池

土手道の下を抜けた水は、一部釣り堀の水となり、さらに下流へと流れ下ります。
史跡看板散歩-133 宗止池

その先にはなぜか黄色い鳥居の「白山神社」、社殿の後ろには「十二大明神」の石碑、「十二堰」はその東を流れ下ります。
史跡看板散歩-133 宗止池

下った水は、ちょっと先で分かれて、「上芝の共同水車」を回す動力となります。
史跡看板散歩-133 宗止池

水車を回して再び一緒になった流れは、そこから4.8km流れ下って「宗祉池」の取水口に至る訳です。

そして、そこからさらに460m下ると、上小鳥「諏訪神社」の裏に出ます。
史跡看板散歩-133 宗止池

面白いことに、この「諏訪神社」にも「十二大権現」の石碑が建っています。
史跡看板散歩-133 宗止池

「十二早川」「十二堰」「十二大明神」「十二大権現」と、やけに「十二」が多いんですが、偶然なんでしょうか。

謎がいっぱいの、「宗祉池」でした。


【宗祉池】

【早瀬川取水口】

【上芝の合同水車】

【上小鳥の諏訪神社】





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この記事へのコメント
更新、いつも楽しみにしています。「宗止池」には私も足を伸ばしたことがあるのですが、そこから「箕郷ふれあい公園 いこい広場」と来て、「十二」に飛躍していく展開に感嘆しました。まだまだ知らない「高崎」の紹介、楽しみにしております。
Posted by 南瓜  at 2019年03月19日 05:44
>南瓜さん

春の暖かさにつられ、ついつい遠くまで行ってしまいました。
妄想も、暖かさのせいでしょうか。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2019年03月19日 07:32
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